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「愚」(おろか)という徳、「損」の道の妙 (2006年12月号) [2006]

 其れはまだ人々が「愚」と云ふ貴い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋
み合はない時分であった。……これは谷崎潤一郎の小説『刺青』の中の一文です。江
戸時代の、のんびりしたようすを「愚」と賞賛しています。
 幸田露伴も「今の人ややもすれば益の道可なるを知って損の道の妙を知らず」と述
べています。幸田露伴は、森鴎外、夏目漱石らと共に明治の三文豪と言われますが、
その中でも最も多くの毛筆原稿を遺しています。
 谷崎潤一郎も幸田露伴も明治から昭和にかけての小説家です。何事にも増して効率
を優先し弱肉強食へと移りゆく厳しい時代において、二人の思想は、まるでこれにあ
らがうかのようです。激動の時代を生き抜き、人間の表裏を深く洞察した偉大な小説
家が行きついた「愚」という徳、「損」する妙という言葉には深い含蓄があります。
 このような思想は中国の古典『荘子』や『老子』の中にも見えます。例えば『荘子・
天地篇』には、井戸から水をくむのに、便利な機械(はねつるべ)を使わず愚直にも
坂を下って井戸に入り、瓶をかかえて畑に水をそそぐ老人の話しがあります。老人が
言うところによれば、「機械をもつ者には必ず機械に頼る仕事が増え、機械に頼る仕
事が増えると、機械に頼る心が生まれる。機械に頼る心が生まれると、心の純白さが
失われ、霊妙な生命の働きも失われ、道から見離されてしまう。私も機械のことは知
らないではないが、けがらわしいから使わないのだ。」とのことです。
 わが身を振り返るに、多少なりともこの老人の戒めを実践しているのではないかと
いうことを思い起こせば、携帯電話やメールの存在は知りつつも最大限使われないよ
うにし、筆で手紙を書くようにしています。待ち合わせの時、携帯電話があれば待ち
ぼうけにならなかったろうにとか、メールを使っていればより多くのビジネスチャン
スに恵まれるということもあるでしょう。それでも尚、『荘子』の中で出てくる老人
の言葉が心に残って仕方ありません。
 「老荘思想」は中国の戦国乱世の頃に生まれた思想です。その時代背景は谷崎潤一
郎や幸田露伴の思想を育んだ明治から昭和への激動の時代とよく似ています。便利な
機械が溢れ、情報という名の誘惑の多い昨今です。人間のこざかしい知恵分別を損て、
安らかで自由な境地を得たいというのなら、老子や荘子、谷崎潤一郎や幸田露伴の頃
よりもさらに厳しい環境であるとさえいえる現代です。しかしながら、筆で文字を書
くことを含め、みなでこれについて真剣に考えていかなくてはならない時代が到来し
ていると思います。