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文房四宝ともったいない (2006年11月号) [2006]

消費文明が行きつくところまで行った感のある昨今です。その中でもったいないという言葉が見直されています。何もかもが使い捨てにされていく現代において、一歩ふみとどまって物を大切にしていこうという社会の気運には私も大賛成です。
 「書」の世界にも大切にしなくてはならない「文房四宝」と呼ばれるものがあります。これは筆・墨・硯・紙を指し示しています。もともとは詩文を作るのに欠くことが出来ないものであったことからこう呼称していましたが、今は転じて一般に書の世界において、この呼び方がされています。
 もったいないは、実は大変深い意味を持ち合わせていることをご存じでしょうか。例えば「もったいないも 卑しいから」ということわざがあります。私の経験では、知り合いとの酒席で、盃からこぼれた酒を汚れた机の上で額まで濡らしながらすする情景などを見かけると「おー、これがもったいないも卑しいからか」などと妙に納得したりします。
 文房四宝を使うようすを見ていても同様のことを感じる時があります。一見、文房四宝をしごく大切にしているように見せているのですが、それとは裏腹に学習姿勢は受け身かつ惰性である人をときどき見かけます。一方、自らに厳しく、影日なたなく稽古を積んでいる人の文房四宝の使い方は見ていて実にスマートです。要は事物の本質をよく見据えているかどうかが、物の扱い方に現れてくるということでしょう。
 もったいないが見せかけだけの窮屈なマナーに終わらないためにも、書をする者は、よく稽古を積み、そこから真の意味での物を大切にする心を育んでいくようにしてください。