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字が上手になれば歌も上手になるのか?(2007年2月号) [2007]

 字の上手な人は歌も上手だなどという話をよく耳にします。科学的に考えれば、脳
の中で表現したいことを、「歌う」場合は口の筋肉、「書く」場合は手の筋肉の運動
に変換するわけだから、耳に聞こえてこようが、目に見えてこようが根っこは同じな
わけです。つまり頭の中に描いた言葉を、口なり手の筋肉の運動へと変換する作業の
ものすごいスピードで脳の中で行っているのです。さらに文字を美しく書こうとする
場合は上下左右奥行きといった空間の把握が伴ってくるため、一般に脳の右半球の活
動が促されます。脳の右半球は歌におけるイントネーションを司る領域でもあるので、
文字が上手になれば歌のリズム感もよくなるというわけです。
 逆に、自分の考えた事を筋肉の運動に変えることが出来なくなったらどうなるかを
想像してみてください。口を動かそうと思ってもしゃべれず、書こうとしてもピクリ
とも指は動きません。歩くこともまばたきすることさえかないません。
 現実に、人がこうした状態となる病気があります。それは (筋萎縮性側索硬
化症)といい、筋肉や脳機能自体は正常なのですが、脳から筋肉への神経伝達回路が
侵される病気です。脳が完全でも清明な状態であるにもかかわらず、症状が悪化する
と完全な植物状態に至るきわめて悲惨な病気です。呼吸をする筋肉も止まるので、人
工呼吸器がなければ生きていけません。ただし筋肉が衰えても一つだけ機能が保たれ
る知覚に耳があります。耳は筋肉が動かなくても機能しており、ベットで横たわって
いる患者さんのまわりの音や声はすべて聞こえています。その証拠にこのような状態
になっても、嬉しいことを耳にすると顔が紅潮したりするそうです。運動神経が麻痺
しても自律神経が別に働いているということです。筆跡にはこのような自律神経に関
わる無意識の要素も加わってくるわけですから、隠しようも無いその人自身の素のよ
うすがあらわになってくるのです。
 こうした脳科学が明らかにしてきたことを今、教育に生かせないかと科学者や教育
者が議論しています。しかしながらこうした「科学」を人が人を育てる「教育」に直
接生かせるかということになると多くの識者が二の足を踏み始めます。脳科学が進歩
すれば受験生の頭を機械の中に入れて脳を計れば、うちの大学に合格かどうか分かる
ようになるであろうと冗談交じりで講演をする東大の先生もいる程です。
 人が科学的な動かし難い正確な理論によって育まれ、択ばれ、一生を終えていくと
いった世の中を誰が望むでしょうか。こうした脳科学を教育に生かそうという場合、
「脳科学」ではなく雑学的な「脳学」程度で十分なのではないかという意見が交わさ
れるようになってきています。「書道がうまくなると歌もうまくなるってさ」「よし
書道をやってみよう」「歌はうまくなったけれども書道はうまくならなかったよ」…
でもいいのではないでしょうか。科学は科学者の為ではなく、あくまで人のためにあ
るべきところ前提を忘れて書道と脳科学の関係は進展しないでしょう。


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