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二度書き(18/08) [2006]

書道では二度書きはいけないことになっています。書き終えたあと、ここがもう少し長ければとか、ここをもう少し太くすればよくなるだろうにと筆を重ねたくなるのが人情です。しかし書道では二度書きはいけないことになっています。
 私もその昔、二度書きをした経験があります。それは石材に彫りつける文字の原版として使うもので、薄手の紙に墨で書くのが一般的となっています。石に彫りつけるものだから二度書きしてもわからないものだろうと考えたのと、永いこと残るものだから微細なところまでこだわって最高のものを書き上げたいという思いも半ばあったのでしょう。
 実際に彫り上がったものを見たとき、「あっ」と声を出してしまったことを覚えています。そこには二度書きをした跡が感じられるのです。素人目にはわからない類の線質に現れる程のものですが、確かに重ね書きのようすが彫り込まれた筆跡にも出てしまっているのです。
 「書は目に見える音楽」ともいわれます。形だけではなく運筆のリズムが時間の経過と共に表現されるからです。どこから来てどこに行くのかといった一度限りの軌跡が「線」に凝縮されているのです。
 絵の勉強で先生に手直ししてもらう時、ちょっと筆を入れてもらうと全体がぐっとよくなることがあります。かの有名なオランダの画家レンブラントの「夜警」(一六四二)の中に描かれている中央にいる人物のもつ鉾先の長さもかなりの回数推敲され重ね書きされていたことが知られています。これは最近のレントゲンを使った調査によって判明したものです。
 絵は「言葉を用いない詩」と言われ、一方書は「目に見える音楽」と言われます。絵と書の違いをよくふまえて「書」に取り組まなければ、書も文字という書く対象の制約された絵になりかねません。
 先日も、記念樹を建てるので傍に建てる記念碑に字を書いてほしいとの依頼がありました。それもコンクリート製のデコボコした大きなもので大人二人がかりでもとても持ち上げられない代物でした。これに塗料でそのまま直接書いてほしいという。地色に既に重ね書きのきかない塗料が塗ってあるので失敗は許されません。シンナーの臭いと格闘しながら何とか書き上げました。一度限りの緊張感を以って目に見える自分自身だけのリズムを描き出すということも「書」の醍醐味の一面に違いありません。