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書法と書風(18/05) [2006]

慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の戦いで勝利をおさめた徳川家康は三年後、征夷大将軍に任ぜられ江戸に幕府を開きました。文字によって人々を治めようとした徳川幕府は「御家流」と呼ばれる、比較的読み易く書き易い書風を採用しました。
 公文書に採用されたこの和様の書は公家、武家、庶民を含めたすべての階級に広まることとなります。江戸初期を代表する「寛永の三筆」と呼ばれる三人の能書家(近衛信尹、本阿弥光悦、松花堂昭乗)が、すべてこの「御家流」の流れであることを考えれば、この実用の書も立派な芸術品といえるでしょう。
 この和様の書の対極にあるのは唐様の書です。和様が大衆の書であった一方で、唐様で書くことは当時の中国文化崇拝を基盤とした一部の知的エリート達の証でもありました。寛永十年(一六三三年)に出された鎖国令によって、この舶来の書はますますその貴重な価値を高めていきました。
 印刷技術の発達した現在、本屋などに行けば、和様だろうが唐様だろうが、それこそあらゆる書風に触れ、学ぶことが出来ます。私も、本のタイトル題字、会社名など、個性やおもしろさが作品に求められるときには様々な書風を参考にして書くようにしています。求められる雰囲気に見合った作品を書くためには、こうした書風のバラエティーから学ぶ点は莫大なのです。
 ただし、書風と、筆跡のクセとは違うということを学んでおいてください。書風とは、手で文字を書くという極めて並列的な(同時に様々な脳の機能を動員すること)行為において、それが一つのバランスを保って完成している状態を指すのであって、けっしてそのアンバランスをもってクセとなしているものをいうものではありません。書道を学ぶということは、その人のもっている固有の筆跡を壊すことではなく、どのようにすればバランスのとれた書字活動を指向出来るかという学習の姿勢にあります。「書法」という言葉には、書を学ぶための基礎的な技量、学習方法などが含まれているのです。この「実り」の初・中級課題は、どちらかというと御家流に近いものといえます。ある程度それを会得した方は、ぜひともこうした様々な書風にふれてみることをお勧めします。「書風」によって盲目となるのではなく「書法」をもって「書風」を鑑識する目の高さを養うことが、書の深淵に至る王道に違いありません。