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「蘭亭序」もう一つの見方(17/04) [2005]

「書」の世界で歴史上もっとも有名な人といえば書聖、王 之(三〇七│三六五)です。中でも「蘭亭序」は、王 之の代表作として知られ、今でも高校の芸術科書道の臨書課題としてよくとり上げられます。
 王 之は永和九年(三五三年)に、蘭亭に四十一名の客人を招いて曲水の宴を開きました。この時、客人達が作った詩を一巻としてまとめ、王 之が二八行、三二四文字の序文を作り蚕絹紙に鼠鬚筆で書きました。これが「蘭亭序」です。
 この蘭亭序については、 之自身も「神助を得た会心の作」であると述べており、後に何度書き改めてもうまくいかなかったといいます。また原跡は王 之の書を極愛した唐の太宗皇帝と共に殉葬されてしまったため残っていません。したがって現在我々が目にするものは臨 (原跡を見ながら、そっくりに臨書すること)ないし搨 (透写や双鈎填墨、つまり原跡の上をトレース紙のようなものでおおい、その潤渇、濃淡まで正確に写しとること)したものになります。
 蘭亭序の高い評価の一つには、その変化と統一のバランスの見事さがあげられます。例えば蘭亭序には「之」の字が十九回あらわれますが、王 之は、それをすべて変化させて書き、しかも全体のリズムを整え、書美をあますことなく表現しています。(下欄参照)
 それから、蘭亭序は王 之自身が書きおろした名文であることも忘れてはなりません。最近、私立の中高では書道に力を入れようとしているところが多いそうです。それも「国語」と両方の視点から「書」を指導出来る人が望まれているといいます。「之」の字を様々に変化させていくような頭を使いながら、名文を綴っていくという楽しさを知れば、「書」の醍醐味は、その深みをますます深めていくに違いありません。蘭亭序の冒頭「永和九年」などと半紙に書く時も、いつ頃のどんな出来事なのかな、と想いを馳せながら書くことも大切なことです。


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