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篆刻に挑戦してみよう(17/07) [2005]

石を刻って印を作ることを「篆刻」といいます。中学や高校の書道の時間に実際に作ってみたことのある人もいるでしょう。印は、美しく作品をまとめる為、また自書したことを証明する上でも重要な役割を果たします。篆刻はまさに書学の欠くべからざる周辺領域です。
 名のある篆刻家に印を刻ってもらえば、それこそ高価な代物となりますが、自分で刻れば、数百円の印材に印刀(印を刻るための彫刻刀)と印床(印を押さえておく台)を用意すれば始められます。自分がしたためた季節の葉書きに、ちょっとした彩を添えるのも印の素敵な役割です。
 学校の書道の授業では、この篆刻をすることが生徒に好評とききます。古典の形臨を軸とした模倣中心の芸術科書道学習の中にあって、篆刻は自分の名前を字典で調べ、デザイン化し、失敗の許されぬような集注力を以ってなす創造的な学習です。
 私も、高校生の時に印を刻った経験は今でも強く記憶にあります。それに何しろ「石」ですから、劣化せず製作した当時のまま手元に残っています。
 篆刻は、書道とは違った様々なルールや技術を覚えなくてはならない、書学とはまったく別分野の技能である。といった考え方に私は反対です。書をなすということは、思考、言語を伴った細かい指の動きを支配する、という行為であり、書を能くするということは畢竟、篆刻をなす力を養っているということにもなるはずです。実際、法隆寺の建造物の屋根裏に見える宮大工の落書きや習字のあとは、指先の器用さと書の学習の関連性を雄弁に物語っているものともいえます。
 高村光太郎を始めとした彫刻家が「書」を熱心に学習していたりするのを見ても、「日本の文字を書く」ということと、日本人の物造りの上手さとは無関係ではないことがわかります。
 町工場を基盤とした繊細な手作業が日本の産業を支えてきたわけですが、それが今、いくら税金を投入してもその技能を支える後継者が育たなくなってきています。構成力を必要とする細かい指の動きをなすための基盤となる「書く」学習をおろそかにしているから、高度な技能がうまく習得出来ないということは科学的に十分言いえることです。
 日頃、書の学習に邁進している会員の皆さんには、今夏、短期の篆刻講習会を用意しました。篆刻の楽しさを味わいつつ、「書」の力が篆刻の中にも通じてくることを体感していただければと思っています。