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メールだと素直になれる?(16/07) [2004]

表題の言葉、メール好きの人がよく使う文句です。今日は 手書きによる書字の場合 原稿を見ながらそれをキーボードに入力して行う書字の場合 自分の思考を直接キーボードによって書字する場合…の三点について、それぞれの行為の本質的な違いを見てみることにしましょう。
手書きの言語活動は、空間認知・抑揚等、様々な脳の機能を前頭前野というところで統合していかなくてはなりません。複合的かつ並列処理的行為である手書きの活動は、結果、前頭前野の能力である抑制、思いやりを含んだ言語活動になり得ます。 
キーボード入力の複写による清書はいかがでしょう。これは、見た文字をそのまま入力するという作業なので、視覚的能力と速打ち(ブラインドタッチ)の小脳の能力だけあればこと足りる作業であり、言語活動ではありません。
最後に、自分の考えをそのまま言語化するキーボード入力について考えてみましょう。空間認知を伴わない細かい指の動き、連続性のない単純反復のキーボード入力は、大脳の中では言語単独で行なわれる行為となります。先程も述べたような複合的かつ並列的な処理を必要としない行為は前頭前野の活動を伴うことなく、脳の大脳皮質の内側の脳の古い部分、つまり生きるためだけの本能に近い部分単独の言語活動になりえます。ですから、人前では発言出来なかったり、構成力を必要とする文章が書けなくとも本能の言語化が可能なのですから、文字がするすると出てくるわけです。よく失語症の人が、他の人が茶碗などを倒しそうなときに、とっさに「危ない!」と言えてしまうあの機能と似ています。
清書機能として原稿をキーボードに入力するのと違い、考えながら、その思考をキーボード入力する場合は、頭をフル回転しているのだという意見が聞かれます。実は、結果は逆です。結論から言えば、目にした原稿をキーボード入力していくよりも、自分で考えたことをキーボードによって直接文章化していく方が、言語活動としては危険を孕んでいるといえます。この件については一部の科学者達が警鐘を鳴らし始めています。また最近では、前頭前野だけが単独で活動することも可能であることが分かってきていますが、これは一度それが完成をみた大人の話しであって、まだ脳が未熟な子供については、より大きな危険と隣り合わせになることを忘れてはなりません。
おかしな事に、こうしたパソコンの人体や脳への弊害についての研究で、世界のトップを走っているのが日本であり、同時にその対策が最も遅れているのも我が国です。こうした事態を解決するためには、まず、日本人一人一人が“考える力”を回復していくことが必要だと思います。