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「書」という習い事の続け方(2007年5月号) [2007]

「手習いは坂に車を押す如し」と言われるように、楽しいだけでは続けられないのが「書」の道です。「書」に限らず何らかの素養を身につけようとするのなら「石の上にも三年」といった忍耐力も必要となってくるものです。
 書の上達は、数量化できにくいものだけに、自分自身が成長しているかどうか不安になり易いようです。書をなす際には細かい指の動き、空間認知、文字性、連続性、体性感覚、運動覚…等々、実に様々な人間の高次な能力を同時に働かせなくてはなりません。それだけに一つの感覚が成長すると、他の感覚が相対的に落ち込むといった現象が起こります。
 例えば、字形のとり方の良かった人が、配字の方に注意をして練習し始めると今度は字形の方がおろそかになったりします。一歩進んで字形も配字もよくなってくると、今度は筆力がなくなってくるというように、しごくじれったい上達の仕方をするのが書という習い事の特徴です。
 もう一点、これは私の指導経験からなのですが、ぐんと飛躍的に上達する少し前には目に見えて落ち込む要素が現れてきます。それは、線が細くなったり、右上がりが強くなったり、字粒が大きくなったりと、本人自身は指摘されないと気がつかないようで、この時期の稽古は大きな忍耐力を必要とします。しかしながら夜明け前が一番暗いのと同じく、この時期を乗り越えるくせをつけると、上達の階段を自ら登っていく力がついていきます。
 「書筆(しょひつ)の道は人間万用に達する根元なり」と言います。先賢の言葉の通り「書」は複雑な脳の動きを促す習い事であり、それによって育まれた人間の高次な能力は他の場面でも有効に発揮されます。「書」を極めることは難しいことです。しかしながら、これを続けることによって開かれる「道」は、魅力溢れた世界へと通じているに違いありません。


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