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書と言葉(2007年8月号) [2007]

 百人一首の第一首目に、天智天皇御製の歌「秋の田のかりほの庵のとまを荒みわが
衣手は露にぬれつつ」があります。解釈は「秋の収穫の最中、そのみのり田のほとり
に設けられた番小屋は、粗末な造りで苫ぶきの目も荒い。濡れしたたる夜露に、私の
袖はみじめに濡れている。」というところです。
 この歌の不思議なところは、天智天皇自身が、まさかこのような経験をしたはずは
ないのにもかかわらず、庶民の生活の苦しさを慮り、その情景をありありと描写して
いる点にあります。
 最近、大平洋戦争中の硫黄島を舞台とした映画の影響で、当時の硫黄島の守備隊長、
栗林忠道中将の人物像に注目が集まっています。一九四五年三月十七日、栗林中将は
訣別の言葉を東京に打電しています。「この要地を敵手に委ぬるのやむなきに至れる
は誠に恐懼に耐へず幾重にもお詫び申上ぐ。特に本島を奪還せざる限り、皇土永遠に
安からざるを思い縦ひ魂魄となるも誓って皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す…」。
今を以て智将、名将と仰がれる栗林中将の残した文章には、高い人間性と教養が感じ
取られ、さぞや魅力的なリーダーであったのであろうと想像することが出来ます。
 語彙の乏しさや、他者の立場になりかわって思考する力の不足が嘆かれています。
指導者、先生たりと雖も、師表とされるに見合わない発言の多い昨今です。心無い、
せかせかした言葉に深く傷つくこともあれば、たった一言で救われることもあります。
 「書」を学ぶ者として忘れてはならないことがあります。それは「言葉を大切に扱
い丁寧に書く」ことです。これによって養われる人間の語彙や、文法の能力の獲得の
因果関係が分かってきたここ数年、過去の偉人たちがなぜこれだけの言葉と心の力を
持ちえたか今、日本人が最も緊急に考えなければならないことだと思います。