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日本人の力の源流について考える(2008年8月号) [2008]

 日本書記や古事記の伝えるところによれば、日本に漢字が伝来したのは五世紀前後のこと。日本人が手書きした現存する最古の肉筆は聖徳太子による「法華経義疏」で、六一五年に完成しています。
 紀元前二万年前、人はラスコーの洞窟に躍動感あふれる絵を描き、それからおよそ一万数千年の後、人類の歴史に大きな事件が起きます。文字の誕生です。
 人類が直立したと言われるのがおよそ六五〇万年前、それから火を操り、言葉らしきものを使い始めます。そして現在の人類とほぼ同じ脳を持ったのがほぼ五万年程前です。
 有史時代という言葉があります。文字によって歴史が綴られたここもと数千年の時代のことです。それ以前、数百万年の永いあいだ人類が過ごしてきた変化の少なさに比べれば、莫大な生活様式、環境の変化が地球に訪れています。文字によって人類の叡智が時間と空間を超えて蓄積、発展していったという一面もありますが、一方でそのささやかな指の動きとは裏腹に、文字を書くことによって高次化される脳のシステムに注目が集まっています。
 文字を手にした日本人は、資源の乏しい島国ながら、世界史の表舞台に登場するようになります。日本の文字は表意文字と表音文字が混在し、文法、読み方のバラエティーも豊富、形も繁体を極めています。この文字を修得し、使いこなすようになるためには、それこそ脳への負担は大で、その分脳は高次化していくに違いありません。産業革命を知らずして三百年の鎖国というハンディを背負いながら、唯一列強諸国の植民地とならなかった東洋の小さい島国日本には、まずすばらしい文字文化があるこ
とを忘れてはなりません。
 教育や行政の展望は、高齢化や人口の減少などによって、国力は低下していくだろうということを前提に施策が行なわれていると漏れ聞きます。人的資源など縁のなかった斑鳩の地の五重の塔が、千年の歳月を経て美しく聳え建つのを見るにつけ、日本人は自らの力の源流を見失い、その日その日を生きるだけの国になり下がった感が否めない昨今です。今一度、立ち止まって日本人の力の源流について深く考え直してみる時期が到来していると思います。