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脳科学と書道の研究の問題点(2009年12月号) [2009]

 昨今の脳科学ブームで、脳科学と書について研究している私も少しがんばらねばと感じています。「脳科学と書道」のようなタイトルの本でも書いてみようか、と思案もしますが、そもそも(書)教育が科学の対象となるかどうか自体に疑問符がついてしまいます。一般に科学という言葉は「自然科学」のことを指します。つまり科学とは時間や空間、人間を超えて同様に確認することが出来る、絶対的な法則性の説明をすることです。例えば万有引力などの偉大な科学的発見はそれで、このような科学的知見は現代の私たちの便利な日常生活を根底から支えてくれています。他方「教育科学」という分野も存在します。これは対象となる生徒からアンケートをとったり、その成績を数字に置きかえ統計的な分析をなします。この研究結果は現場の教師の指導の大きな手がかりとなるものです。
 「自然科学」にせよ「教育科学」にせよ、「科学」は、経験則や主観性が排除されるという点で、因習や偏見、迷信といった未開社会の対極にあるものと位置づけられます。現代社会はこの科学の思想によって、より豊かな生活を手に入れることが出来ました。しかし、一方で一瞬で地球を破滅させてしまう核爆弾を手にしてしまったり、遺伝子究や臓器移植に代表されるような、モラル上の新しい課題が広く提起されるようになってきました。
 一昔前と比べ、今の科学者は、その研究が社会的にどう影響を与えられるかについて熟考する能力が要求されているそうです。机上一つで出来たキュリーのラジウムの発見といったノーベル賞級の発見は、今は直径数キロメートルの加速器やスーパーカミオカンデなど、個人の研究をはるかに越えた巨大なものを利用しないと難しくなってきています。
 私があまりパソコンや携帯電話などの使い過ぎはよくないと主張すると、「何事もやり過ぎはよくない」との反論が必ずかえってきます。脳の特殊な点は、食べ過ぎなどとは異なり、それ自身に痛覚がないため、やり過ぎてもストップがかけられないことです。脳が科学をやり過ぎているかについて判断をするのかしないのかは、長い間、科学の恩恵に浴し続けた我々にとって難度の高い課題です。脳科学と(書)教育について考える際には、その対象が理想の姿さえ確かでない生の人間であることを忘れてはならないと思います。