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漢字の○×(2010年5月号) [2010]

 その字種の多さと字形の複雑さが世界の文字の中で突出している漢字。 文字の「パーツ」を横に並べ揃えるだけで「語」が出来てしまうアルファベットと比べれば、その習得には際限がないと思われる程。書きとりテストとなれば、それぞれの点画のつける、はなす、止める、はねる、抜く、突き出る、接する、短い、長い、角度…等々点画の書きぶりに逐一細心の注意を払わなくてはなりません。点画の書き方の違いによって他の意味の文字になってしまうとしたら、その文字の持つ記号の役割が果たせなくなってしまうわけで×にされるのはいたし方ありません。ただしあまりに厳格すぎる○×は、その運用に支障をきたすため一般に「許容」が認められています。
 しかし、問題になるのは、この許容をどこまで認めるか個人差があるということです。ある高校入試向けの書きとりのテストの中では、許容と認めるか認めないかで採点者によって全問正解か全問不正解か分かれるなどという極端な結果が出たことさえあります。
 書道では、同じ文字が二度三度出て来たら少しでよいから違った書きぶりをする方がよいとされます。それは話す時に微妙なイントネーションの変化をつけることが言葉に表情を加えることとなり、より豊かなコミュニケーションを図ることが出来るようになるのと同じです。漢字の○×をクリアし、受験にも有利ということになれば、書きぶりのバラエティーや表現力の豊かさを追求するよりも、とりあえず標準とされる字形を金科玉条のごとく一点一画覚えた方がよいと多くの人は考えるでしょう。されど、この方法は記憶力を養い、試すにはもってこいですが、これがすべてでないことも忘れてはなりません。また投げやりに書いた雑な文字を許容として○にすべきだということでもありません。
 企業が欲しい人材の能力の一位に、「コミュニケーション能力」が挙げられています。対して「語学力」は挙げられず、人事担当者によれば「日本語をまともに使える学生が少なすぎる」とのこと。何を伝えるかと同時にどう伝えるか。何を言われたかと同時に何を言わんとしているかを感受する能力をどう養うかについて考えるとしたら、漢字の○×の視点も変ってくることでしょう。