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線の芸術(2010年7月号) [2010]

 江戸時代中期から後期にかけて興隆した浮世絵は遠くフランスの印象派絵画に影響を与えたと言われる程高い芸術性を持っていました。女性の黒髪の描写たるや、まるで本物か、それ以上の表現力で迫ってきます。繊細で躍動感に溢れ、それでいて力強さも兼ね備えたこの今にも動き出しそうな線に欧米の人々は刮目したに違いありません。
 絵画は言葉のない詩、書は目に見える音楽と例えられます。浮世絵に書のような線の表現という音楽性が加えられていたからこそ、欧米の絵画界にセンセーションを巻き起こしたのでしょう。
 江戸時代といえば、どのような職業に就くにせよ御家流で多くの子供たちが書を学んでいた頃のこと、浮世絵の線の素地が書によって育まれていたと言ってもおかしくはありません。
 この一本の線の表現力の豊かさと、それを描く難しさを私が初めて感じたのは大学生の頃でした。書道部の展覧会で色紙の書を出品することになっていたので、父の書いた草書体の「福」の字を真似することにしました。なぜなら文字数も少なく簡単に書けると思ったからです。しかし、実際とりかかってみると形は似ているものの、どうしても父の書いた風合いが出せないのです。これではまだ文字数の多い作品を時間をかけて書いた方がよかったと後悔するのと共に、この「書」という仕事を業とするには相当の労力を要するに違いないと、茫然としたことを記憶しています。
 線は絶対不可欠の書の表現要素に違いありません。しかし、この強敵と格闘することに気をとられ、他の表現要素を高めることを忘れてしまえば真に書をすることから遠のいてしまいます。江戸末期の僧良寛は書を能くしたことで知られています。良寛は線はもちろんのこと、その書体、書式、布置、文章の意味内容の難度においても生涯にわたりそのバランスをとりながら成長を続けています。良寛の後世に残る程の高い教養と人間性は、まさに書を真にすることに通じるものです。
 「線」これはもっとも遅くに成長する書の要素です。この晩成の成長の要素を心待ちにしながら、書の様々な要素を少しずつ高めていくことは、書を生涯の伴侶とするよい方法かと思います。