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かな書道部設立の理念(2010年8月号) [2010]

 本会ではペン習字部、書道部、実用毛筆部に加え、今年十月より「かな書道部」を発足させます。本会の設立の理念である「身近な書に取り組み、実用の力を養いながら真の書の理解に努める」といった考え方に相照らせば、「かな書道」はその対極にあるものとすら捉えることが出来ます。「用美」を追求してきた本会が、なぜ「かな書道」に着手したのかについて説明したく思います。
 「実用」というと、実用性のある文字の形が決まっており、それを習うのが実用の書である、と私は考えていません。実用の才とは、実際の場面に則した書きぶりが出来る力量を指すものと考えています。建設会社の本社の前に掲げる大きなひのきの表札を書くのなら、太々とした楷書が書けなくてはなりません。やや親しい間隔の手紙のやりとりの表書きでは、文字の大きさ位置関係、太い細いに配慮しながら行書が活躍します。また、草書は義務教育で教えるものでなく、多くの人が読めないので実用的ではない、というわけでもないでしょう。息の長い連続した線は肉声同様その人の表情を色濃く表出するものであり、文字の記号的な意味あいをそれが補って余りあるものです。これは、例えば返事をするのに「はい」という一言でさえ、そのイントネーションのつけ方でそのニュアンスが変わってくるのと同じです。
 文字を手書きする際には、ただ美しい形の文字を並べるだけではいずれ限界に突き当たります。「交通安全ルールを守ろう」などという標語を変体がな入りでちらし書きされても、文意と書きぶりがアンバランスになります。かたや婉曲で雅な表現を駆使した和歌などには、それを演出する書きぶりを追求することが出来ます。分かり易く読める文字がイコール実用の書ではなく、様々な場面を的確に判断し、それにふさわしい書きぶりが出来る力を養うことこそが、実用の才の育むことであり、書の真の理解につながると私は考えています。
 「変体がな」を難解な布置で書きおろす「かな書道」も、外国語というわけではなく純粋な日本語です。日本語を手で書く習慣を忘れかけている日本人にとって「かな書道」への探訪は、和の心の呼び醒ます強烈な清涼剤になると確信しています