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手書き、ワープロ、日本語、英語(2011年3月号) [2011]

 漢字で花の「バラ」という文字を書いて下さい、と言われたとします。そんなの簡単だよとスラスラ書ける人はそう多くないでしょう。一方これをワープロで打つとします。「ハ→゛→ラ」又はローマ字入力で「B→A→R→A」を変換して候補の中から選び出します。すると今度はほとんどの人が「薔薇」と〝書ける〟わけです。これを英語に置き換えてみましょう。「バラ」という言葉を書く場合、あれ、LOSEだったかROSEだったか、はたまたROZEだったかといった綴り方が問題になってきます。これはワープロ打ちにしても日本語のように解決するわけではありません。ROSEと書けば「薔薇」になりますが、LOSEにすれば「失う」になってしまいます。
 日本語で「薔薇」を書くことの何と難しいことか。一方ワープロ入力の簡単なこと。他方、英語でROSEと書くことは日本語のそれより容易ですが、ワープロ入力にしたからといってさほど簡単にはなりません。日本語ワープロは英文のそれより百年遅れて実用化されたわけで、これが実現したのは高度なコンピュータ技術のおかげです。日本人は手で日本語を書く煩わしさから解放される一方で、日々手で文字を書いて脳を鍛えるということから遠ざかりがちになりました。二十年前だったら、ペン字や書道を習う成人男性といえば就職前の大学生か、退職後の時間にゆとりがある人が主流でした。しかし最近では働き盛りのビジネスマンが週末を利用して習字に励んでいる風景がよく見られます。手書きをほとんど必要としないビジネス社会において、この状況に危機感を覚えているのでしょうか、稽古する姿勢を拝見すると、背筋をピンと伸ばし、りりしく書と向き合っています。こうした生徒さんに調子を尋ねると、おしなべて精神状態が安定しているとのこと。皆さん今流行の鬱とは縁遠いようです。
 明治維新の頃、この東洋の小国にやって来た英米の知識人たちは、その能力、熱意、勤勉さ、創造力に驚き、「日本人は東洋のイギリス人」という言葉を残していきました。働き盛りを含む三六〇万人ともいわれる人々の引き込もり、今や九百兆円を超えると言われる国家債務の累積。「文化のないところに経済的繁栄はない」と言います。「文字」を書く文化を見直すことが、日本経済再生の為に不可欠と考えています。