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書と絵の違いから考える書の基礎力とは(2012年4月号) [2012]

 光トポグラフィーという機械を使って、文字を書いている時と、絵を描いている時の脳のようすの違いについて調べたことがあります。実験の仕方は、被験者の頭に光トポグラフィーをセットし、それから線画で描かれた絵のカードを提示し、数十枚続けてそれを写してもらいます。すると脳の右側の血流が増加していくようすがモニターに現れてきます。そして、今度はハサミ、机、帽子といった絵のカードを提示し、それを文字にして書いていく作業に移ります。すると右側の脳の活動に加え脳の左側の、特に言語野というところが活動を始めます。そして再び絵を写す作業に戻ると、この左脳の活動は消えていきます。
 この実験は同じように見える指の運動でも、それが文字を書いているか絵を描いているかによって脳の活動に大きな違いが生じていることを証明しています。
 絵の描く力量の根本であり、また絵を描く練習はまずデッサンから始まります。デッサンはまず形が正確でなければなりません。写されるものの長さの比例や明暗、動勢などをきちんと絵に表現することが絵を描く際の基礎力とされています。前衛画家と言われる人たちも、そのデッサンしたものを見ると確かな力量の裏付けがあって表現の芸術性を追求していることがわかるものです。
 一方、書における基礎力とは何なのでしょうか。古典を写すという手もありますが、絵の基本練習において古典を写すということはしません。十五世紀の古典、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などを写すことを絵の基本だとしたら、初・中級者にとっては負担が大きすぎ、また面白くもないことでしょう。
 デッサンの和訳は「素描」とか「写生」になります。絵がその対象となる風景や人物を正確に捉え描くことが基本だとしたら、書の場合、先の脳の活動の違いでも述べたとおり、言葉を紡ぐ力量と並行して正確に線画を描いていくことにあるはずです。書は絵と違い線画のみで構成されているので、巧拙を別にすれば絵の古典を写すよりも簡単です。古典の臨書を書の基礎力と見誤ると、書の書たる由縁から遠ざかり、書は「文字」という制約のある絵の一カテゴリーになり果ててしまいます。絵におけるデッサンと同じく、例えばまっすぐ、まとまりよく、まちがいのない美しい文章の手紙を書く力量、これも書の基本であるに違いありません。書の基礎力とは、そういうものであると私は考えています。