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端座正書(たんざせいしょ)(2012年5月号) [2012]

 パソコン、メールの時代になって手書きをすることがなくなったと聞くようになりました。それでも各種届け出書類等には手書きしなくてはならないし、メモをとるときに文字を手書きしないとしたら、大切な要件も記録出来ず困ります。手書きの機会が減ったとはいえ、意外と手書きしなくてはならない場面は多く残っていて、手書きをしなくなったと言っている人も、よく聞くとなんだかんだけっこう書いているじゃないか、ということがあります。
 それでもやはり、きちんと丁寧に書く機会が極端に減ったことは確かです。現在実業界で活躍されている私の大先輩は「書」についても一家言のある方で、自分が字が上手になったのはラブレターを書いたからだと言っていました。一生懸命に書かれた手紙にお相手は心を動かしたことでしょう。もしそうでなくとも手で文字を丁寧に書かねばならないというこの機会が書き手の思考を深め、心と脳を成長させていったに違いありません。
 大学のレポートにしても、ワープロで提出させるか手書きにさせるか担当教授によって方針が違うといいます。手書き派の先生の意見としては、あまりに盗用が多い為、必ず手書きにさせているのだそうです。盗用したものをそのまま写してもそれが露見しなければ同じではないかと思いますが、それでも手で書いている間は自責の念にさいなまれるだろうからまだましだ、とのことです。教育の現場でさえこんな状態なのですから、強いて自覚しない限り、文字を手書きする、しかもきちんと手書きするという機会は減る一方となってしまうでしょう。
 「端座正書」という言葉があります。きちんと姿勢を整えて丁寧に書くことを指します。習字をするということは字が上手に書ける状態を言うのではなく、字を上手に書くためにはどのように手指を動かせばよいか頭をひねるようすのことを指すはずです。私の恩師は学生時代に授業がつまらなくなるとノートを鏡文字でとっていたそうです。これも考えて文字を書くということになるので、ある意味で「端座正書」になるのかもしれません。
 合理性が何にも増して優先されるあわただしい昨今ですが、しばし歩みを止め自分の文字をしっかり見つめ書くという時間を増やして下さい。このような時間は、今や自律的に作り出さなくてはならないものになりつつあるのですから。

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