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知的な作業を楽しくするには(2012年8月号) [2012]

―――私はよく、どうしてこんなに書くこと(もちろん、手書きのことだ)が好きなのだろうと自分自身に問いかける。知的な作業にはたいていむなしさがつきまとう。ところが目の前に(日曜大工の作業台みたいに)美しい紙と良いペンが置かれているのを見ると、嬉しくなってそのむなしさを忘れてしまうことがある
―――ロラン・バルト『文字の文明』の序文より。
 某有名小学校の名物先生によると、ノートのとり方、ないし文字の書きぶりがうまくいっていないと高学年になって算数でつまずいてしまうのだそうです。ノートをとるということは、記録をするというよりも、細かい指の運動を通してノートという白いキャンバスに自らの思考を描いていくような知的なスポーツであるはずです。それは脳の足腰を鍛える確かな方法です。パソコンでメモをとるとカタカタとうるさいから使わないのでは、という意見も聞かれますが、それならソロバンの玉をはじく方がよほど耳障りなはずです。このソロバンにせよ、数という抽象的な概念を「図形」として認識することによって脳を育んでいるのだということは既に広く知られているところです。
 イタリアの教育家、マリア・モンテッソリ(一八七〇〜一九五二)は教育関係者からは一目置かれる存在です。「モンテッソリ法」と呼ばれるこの教育法は、手作業や造形を伴った学習で児童を夢中にさせ、学ぶことを飽きさせません。モンテッソリ法で育った子供を調べた調査では、学業でめざましい成績を上げたという結果はでていませんが、活力があり自発的な意欲が旺盛だといいます。我が国の漢字かな交りの文を書く書道はまさに、東洋のモンテッソリ教育と考えられるのではないでしょうか。
 先日も学習塾の先生から、書道をしている子供は集中力が高い、という話を伺いました。受験合格が第一で多感な思春期に馬車馬のように机に向かうことの弊害から「ゆとり教育」が始まったはずです。それが頓座し、再び元の木阿弥となっている感の否めないこのごろです。どうせ勉強をしなければならないのなら楽しく効率よくといきたいところです。それもペーパーテストの成績だけでなく人格的な発達を伴えばなおさらよいはずです。お習字の周辺は、そんな理想を現実のものにする可能性に溢れていると私は考えています。