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産業革命と脳(2012年9月号) [2012]

 産業革命とは一七六〇年代にイギリスで始まり、十九世紀後半までに世界の主要国が経験した産業上の大変革を指します。ワットによって発明された蒸気機関は船舶や機関車、カートライトの力識機に応用されます。それ迄人力というエネルギーに頼ってきた産業が石炭という化石燃料に代替されることにより、人々の暮らしは大きく変わります。社会的には資本家と労働者という新しい階層を生み出し、また同時にその負の側面として、公害や年少者・婦女子の過重労働という問題も引き起こしました。
 産業革命以前、働くということは体を動かすこととほぼ同義であったことでしょう。人が動くと書いて「働く」の文字通りです。いわゆる頭脳労働という職種に就いている人でさえ、歩くことを始めとした日常のあらゆることは今より多く体を使っていたと考えられます。船を動かすにせよ、馬に乗るにせよ、布を織るにせよ、体を使っていたものが機械まかせになった頃、ちょうど近代スポーツが始まります。それは産業革命をいち早く実現し花咲かせたイギリスを中心に盛んとなります。現代の体育の原型はほとんどイギリスに拠るとさえいえるほどです。労働力の再生産や、体を動かす事の精神面への影響を考えれば、近代体育がまずイギリスで発達したことは必然といえます。
 産業革命から二百五十年後の現在、今度は人の筋肉ではなく脳を代替する機械、すなわちコンピュータが出現し、新しい産業の革命を起こしています。今迄人間の脳がしてきた演算や手で文字を書くこと、それこそ考えること自体が機械に任される時代が到来しています。脳の能力をアウトソーシングすればもちろん脳は衰えます。筋肉の衰えは目で見て判然としますが脳の衰えは目に見えるものではありません。最近では脳の活動の状態を測る機械もあるので、それを使えば意外に単純な計算や手書きが脳を動かしていることが判るものです。
 筋肉を使わなくなった社会が体育を生み出したのなら、脳を使わなくてもよくなった社会にどんな利点があり、弊害が起こり、それをどう享受しコントロールすべきかを「考え」なくてはいけないはずです。この目に見えない「考える」力自体が衰退している昨今、この問題を解くことそのものがパラドックスであるかのようです。しかし、歴史に鑑み、そこから学ぶことが出来れば人類がこの試練を乗り越えるのも時間の問題となることでしょう。

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