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手書きへの関心の高まりをどのように捉えるか(2013年4月号) [2013]

 手紙でなくともメモの数文字程度を見ても、あの人の字だと分かることがあります。その文字を書いた人と面識がなくても、それが子供の書いたものか、大人が書いたものかの違いは、その筆跡から汲みとれるものです。何かを伝えようと言葉を紡ぐとき、口を使えば音となって耳から伝わり、指を使えば文字となって目から伝わります。電話口での「もしもし」の一言で相手が判るのと同様、手書きの文字にはその人となりがこめられています。
 最近、手書きの年賀状が少なくなったといわれます。私のところにも表裏共にワープロで作成した賀状が多く届けられました。しかしながら興味深い点に、科学者と呼ばれる人のすべてが今年、あて名を手書きしてきました。何も私が常々手書きの方がよろしい、と言っていることを聞いてそのようにしているわけではありません。仕事柄、思考力、創造性といった能力を必要とするため、手で書くことは欠くべからざる生活習慣とのことで、自ら意図して手書きのウェートを重くしているのだそうです。脳関連の科学者に至っては、手と脳の相発的で密接な関係が、その研究のほぼ半分を占める昨今、一時期ワープロに頼りかけていた方々も、率先して手で書くことを推奨し始めています。NASA(アメリカ航空宇宙局)のような、さも最新鋭のコンピュータを駆使していそうな職場でも、そのミーティングルームの壁面にはホワイトボードが部屋の四方に用意され、それらに手書きしながら議論を進めています。
 先日、大学生が、それはメールで伝えることではないことですよね、との発言をしていました。今の大学生と言えば物心ついた頃から既にメールがあたり前の世代。逆に会って話したり、手書きすることの意義について、それより上の世代とは別の角度からコミュニケーションとは何かについて考えているようでした。
 色々な研究会、学会に参加させていただく中で、最近では書道関係の学会での若手参加者が多いことに驚かされます。メディアでしばしば書がとり上げられることの影響があることを差し引いたとしても、ネットネイティブと呼ばれる世代が、手書きに大きな期待を寄せていることは確かです。
 IT革命は、今迄人々が夢に描いてきた近未来を現実のものとしてくれました。一方でそれによって失われたもの、またコミュニケーションの本質とは何かについての問いかけを我々に突きつけています。手で文字を書くことへの興味の胎動を、今後書教育がどのように受け止めていくかが注目されます。