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新学力観(2013年5月号) [2013]

 小中学校では現在、書写・書道が必修となっています。ただ、実際には生徒が四、五十人もいる教室で丁寧に手本を書いて見せ、添削し、講評をするということはなかなか難しいようです。中には手本を書くところをビデオで見せ、生徒に書かせ、教室に貼り出すだけで終わりにする書写の授業もあると聞きます。ここまでならまだ手が回らないからということで仕方がないのですが、講評の際に教師が、上手い、下手、好き、嫌いで評価を断じていることもあると耳にします。 書とは身体性が強く、体型や、顔つき同様それを批難されれば、生徒の学習意欲を大きく減退させることにつながりかねません。生徒からすれば、手本も書いてくれないくせに自分を棚に上げて偉そうなことを言うな、という気持ちになるでしょうし、保護者にしたら、もっとまっすぐ書くとか、まとまりよく書くとか、具体的な指導をしてほしいと思うものです。文字を整えて読み易く「書く」のならば機械を使いこなした方がよいわけで、「なぜ」手で文字を書く学習をしなければならないのか、「どのような」指導をすべきかの授業案を確かなものとするべきです。
 とはいえ、初・中等教育においては国語・算数・理科・社会・英語・音楽・図工・体育等々実に様々な教科がある中で、書写・書道といえば国語のその中のさらに一つの分野に過ぎません。多くの雑務を抱える教師に注文がまた一つ増えるのも酷な話と言えなくもありません。しかし、だからといって教師のマイナス発言によって生徒が心底、手で文字を書くことが嫌いになるようなことは絶対に避けなくてはならないことです。
 「学力観」という言葉があります。「学力」というものを捉えるのにも色々な尺度があって、旧来の学力観が知識や技能など、比較的、評価がし易いものであったのに対し、「新学力観」と呼ばれるものは、思考や問題解決能力・関心・意欲・態度などを重視するため、その評価が難しいとされています。世界的な学習到達度の調査であるPISAにおいて、日本の生徒の学力は低いものではありません。しかし、分からなければ始めから空欄とするような無答率が高く、学習に対する意欲の低さが指摘されています。道徳を教科になどといった話題もとりざたされる昨今、伝えれば覚える、教えれば身につく、の考え方から、そろそろ人間自身の本来内にあるそうした道徳心なり、思考力、意欲といった一概に評価し難い能力を掘り起こすような教育に目を向けることが必要になってきているはずです。それには人間の脳がどのような構造になっていて、どのように機能しているのかについて、より関心を持つことがまずは大切なことだと思います。