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かな書道部門 条幅作品に挑戦(2013年7月号) [2013]

かな書道は、平安時代に大きく開花した日本の書美の粋です。大陸の文字文化を積極的に吸収しながら、同時にそこから新しいスタイルの表現法を創造し、確立したのです。表音文字を中心としたやわらかな書体の「かな書」は女手とも呼ばれます。現在でも手紙の末尾に主に女性が「かしこ」などという言葉を使うのはこのなごりです。
 平安の頃、まだ現在のように紙を作る技術が機械化されておらず、特に料紙などの美しい紙が貴重であった当時、かな書はその紙をまるでいとおしむかのような丁寧な筆致で描かれています。古典の臨書をしていると、しばしば誤って書いてしまった箇書を、その脇から訂正している場面に出くわすことがあります。今の感覚では書き直せばよいのにと考えるところですが、それだけ紙が大切な時代だったのでしょう。
 書の稽古において、古典の臨書という学習は、避けて通ることは出来ない道です。ただし、漢字かな交じり文などは、古典そのものが存在しないため、どこにその学習の範をおくか議論になることもあります。かな大字条幅作品も、拠とすべき平安時代に作品が存在しないため、何を学べばよいのか、どの方向を目指すべきなのかが定かではありません。
 賞状を書いていると気付くことがあります。例えばA3サイズの大型の賞状をB5サイズに縮小すれば、それでよしとはいかない、ということです。大きな紙面では字粒の大小の差を大きくつけたり余白を大胆にとったりしますが、小さい紙面ではそれ程しません。同じ書式でも大きさが変われば微調整が必要となります。そうしなければ異和感が残ります。かな書の古典は、その実物を見ると、それこそ手のひらサイズのものが多く、これを条幅サイズに拡大すればおしまいとはならないのです。
 戦後、上野の美術館をはじめとした大きな会場を飾るのに、かな書も大型作品が求められるようになります。書の分野で初めて芸術会員となった尾上柴舟は、大字かな作品への取り組みに対し懐疑的だったと伝えられます。しかし、尾上柴舟が亡くなる前年、自身は大字かなの作品を展覧会に出品しています。柴舟は、その立場や思想から、長い書文化の伝統に新たな一面を生み出すことが、野放図にならぬことを願っていたのでしょう。かな条幅作品の挑戦は、こうした歴史をふまえて行われるべきであり、また我々それぞれが自らの感覚と技量を総動員して立ち向かうべきに足る書の領域であると確信しています。