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和歌を書にする際の文学上の注意点(2014年6月号) [2014]

  この「実り」に掲載されている和歌は、のべにしたら膨大な数になります。中には、自分が知っているものや、手元にある本と内容が微妙に違うことがあるかもしれません。今日はそんな疑問にお答えしようと思います。
 まず、古典的な和歌はもともとすべて手書きであったということです。手で書き写したものは「写本」と呼ばれます。現代のように原版があって印刷するわけではないので、誤記も含めて広まっていきます。古典文学全集などでは、どのような系統の写本を底本(拠りどころにする写本のこと)としたのか、どのように対校(写本どうしを対比して、より本来の歌の形に近づける作業のこと)したのかについて解説しています。ですから、例えば古今集の何番目と、はっきりした出典が分かっていても、少し違った歌が出現してくるのです。
 ただ、問題はこれだけではありません。万葉集などは、いわゆる「万葉がな」が使われている漢字かなまじり文(表意文字と表音文字の混ぜ書き)です。万葉集が成立したとされる七六〇年頃は、古今集成立(九〇五年)の頃のように、かなを多用して和歌を書くことがなかったため、例えば「清明己曾」と書かれてあったら、それこそ「すみあかくこそ」「すみあかりこそ」「さやけしとこそ」「あきらけくこそ」「さやけくもこそ」「きよくてりこそ」「きよくてるこそ」「さやにてりこそ」「きよくあかりこそ」「まさやけくこそ」「まさやけみこそ」「きよらけくこそ」「さやけかりこそ」と十三通りもの訓み方が可能なわけです(澤瀉久孝「清明」攷『萬葉古徑』より)。さらに実際には、これ以外の訓み方がされていたとしてもおかしくはないのです。
 ちなみに、万葉集より古い時代の古事記や日本書紀に出てくる歌は一字一音の万葉がなのみで書かれているので、こうした問題は起こりません。ただし、古事記と日本書紀とで同じ歌がある場合、一文字だけ違うということもあるからこれもやっかいです。万葉集の訓みが複雑と感じるのは我々現代人だけでなく、すでに平安時代の人々にとってさえ難解だったようで、平安人は推量して何とか訓みをつけていました。これを「古点」といいます。
 書の古典を学ぶことは、古典の臨書がすべてではありません。和歌を書くことは、書をする上で誰もが通る道です。その過程で文学的な知識を得ることが、書の奥行きを深くしてくれますし、また幅の広い教養を楽しむことにも繋がることと思います。

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