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便利な機械を使いこなす(2015年11月号) [2015]

 先頃OECD(経済協力開発機構)は、加盟三十一の国と地域に在住する十五歳を対象に「PISA」(OECDが二〇〇〇年から三年ごとに実施している学習到達度調査)デジタル能力調査を初めて行いました。これによれば、学校内外でデジタル機器を利用する時間が長すぎると、かえってデジタル機器を使いこなす、読解力、数的リテラシーなどの力がなくなる、という結論を出したそうです。デジタル機器との距離のおき方についての世界的な議論に、一石を投じる形となりました。
 道具というものは、使えば使う程、習熟するものですが、機械は、そうではないようです。私も、デジタル機器をよく使う方々と出掛けた折、駅の自動券売機で、皆が特急券を買えずにフリーズしていたのを覚えています。結局、その券売機で特急券を買えたのは、いつもあまり機械を使わない私だけで、あとの方は、窓口に行って買っていました。
 国勢調査の回答では、東京都のインターネットを利用した回答率が他県と比べて著しく低い(東京都二六・〇%、滋賀県四八・四%)ことが話題となりました。日本の最先端の文化と科学技術を誇るべき首都東京の、この便利な機械の使用率の低さは、世間から意外と受け止められたようです。先のPISAの調査からすれば、機械を使いすぎて、逆に使いこなしきれなくなってきているのかもしれません。
 手で文字を書くと、相手が読みづらく、機械を利用すれば、誰もが読み易い文字を楽々作成してくれるのですから、これを使わない手はありません。しかし、これでは書き手は手書きする生活習慣がなくなりますし、読み手も何て書いてあるのだろう、とその筆跡に含まれる感情の起伏も含めて、頭をひねって読み解こう、という余地が失われてしまいます。
 人類が文字を獲得し、便利さを追求し、それがある豊かさを実現してきたことは確かです。しかし今、便利であることが豊かさと同義でなくなってきている気がしてなりません。便利さとの距離を考え、機械に使われるのではなく、機械を上手に使いこなす脳を育てる学びが必要な時代がやってきています。その学びとは書に他ならないのです。