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多様な漢字の形を認めることの大切さ(その二)(2016年5月号) [2016]

 手で文字を書くことは、声にイントネーションをつけるが如く身体性の高い行為です。人の脳は、単純化された繰り返しの運動を嫌うように出来ています。これは、蝶のような小さな動物でも極めて不規則な羽ばたき方をするのと同じです。文字を書くにしても、抜く線ばかり続いたら止めてみたり、止めるところが多かったらはねてみたりする方が「自然」なのです。活字は「打つ」とか「並べる」ものであり、このように自然である必要はありません。活字の形に多様性が排除されているのはこのためです。
「話す」が如く「手で書く」ことに変化を加えることは、文字性、空間の構築性、手の細かい動き等が加わってくるため「話す」より格段に難しい行為となります。しかしながら「書」の目指すところはこの「自然」さに他なりません。誰にも×にされない隙のない標準的な文字を書いていても視点の違いによって×とされることがあるものです。また、教科書の字体と寸分違わぬ形であったとしても、それが履歴書など実際の場面で、名前が枠の隅に小さく書かれてあったら、学校の試験では○になり、得点となるでしょうが、人材としての評価は推して知るべしです。
 漢字の書き取りでは、書道の指導者の方が○を多くつける傾向にあると言われています。多くの文字を手書きし、文字に色々な表情をつける大切さを知っているからです。正しい形で漢字を書ければよし、というものではなく、むしろ時々場合に応じて、書きぶりのバラエティーを増やしていくべきものです。
 漢字の書き取りは、受験の場面では必須の項目で、学歴を高めるためには「標準の形」だけ、覚える方が得かも知れません。しかし、手で文字を書く際の人間の脳の働きが明らかになりつつある今日、「読み書き」によって全人格的な人材の育成を図らんとするのなら、多様な漢字の形を認める大切さを、まずは指導する側が理解しなくてはならないはずです。

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