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書道は「語学」(2017年3月号) [2017]

春の訪れが待ち遠しい冷たい風が身にしむ頃、街を歩くと「淹れたてのコーヒーあります」などといった看板を目にします。ほっと一息一杯いただこうという気をそそります。これが「入れたてのコーヒー」だったらいかがでしょう。コーヒーを味わおうとするのなら「入」より「淹」の文字を使った方が、たとえ中身が同じだとしても期待感に差がつき、よく売れるかもしれません。
「淹」の文字は国の定める常用漢字二一三六文字の中に入っていません。学校では習わない漢字なのです。文字の使い方、また文をいかに構成するかについての専門家には、小説家、コピーライター、新聞や雑誌の記者などがいます。言葉や文でいかに表現し読み解くかは、諸外国の言語も含め「語学」の範疇となります。
 グルメの評論家には、看板の文字が上手だと、その店の料理はだいたいおいしい、などと指摘する方がいます。書が、長短、太細、連離、細かい点画の書きぶり、配字などの様々な要素の匙加減が大切なのと同じく、料理も様々な食材を用い、それを互いに引き立て合い調和させなければなりません。書
と料理は、こうした点で似ている点が多いのです。「淹れたて」の文字が表現豊かに書かれていれば、そこにも強い訴求力があるわけです。
 文字を整えたり、はたまた表現豊かに美しく書いたりすることを追求するのが書道であり、特に現在高等学校では「芸術」の領域の学問として分類されています。文字や文の内容については「語学」で、その形をいかに表現するかは「芸術」ときっぱり分けることは出来ないと私は思います。文字を美
しく書こうとよく考えて手を動かす際には、言語中枢の所在である脳の前頭前野を使います。芸術と語学は、脳の機能を構造から考えれば、一体不可分な学問領域であるはずなのです。
 およそ十年に一度の学校教育における学習指導要領の改訂が、近く行われます。その中で小中学校の国語科において行われてきた、手書きすることの要素が高等学校の科目の中にとり入れられようとしています。書道が語学力の発達に資するような学問領域であってこそ、始めてそれが真に書をなすこ
とに通じてくると私は考えています。