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名前を書こう(2017年6月号) [2017]

 物事のほんの初めの段階を、よく「いろは」といいます。江戸時代、寺子屋での手習い本の入門書は、まず「いろは覚」で、子供達はここから文字を学び始めます。次の教材は何かというと、「名頭字(ながしらじ)」、つまり名前の書き方を学ぶことになります。名前でよく使われる文字、源、平、藤、橘、孫、彦、伝、吉、伊、半…と習っていきます。太郎、次郎、右兵衛、左右衛門などは、まとまりで覚えていきます。これらを読み書きしていけば、人の姓名を理解することが出来るようになるわけです。
 名前を書いた書の古典に空海の「灌頂記(かんぢょうき)」(「灌頂暦名(かんぢょうれきめい)」ともいう)があります。弘法大師空海は、書を能くし、嵯峨天皇や橘逸勢と共に三筆と称せられます。「灌頂記」は、空海が高雄山寺で灌頂という仏教の儀式を受けた人の名を書きつらねたもので、最初には最澄の名も見られます。これは他の人に見せるため、というよりも一種の覚え書きのような記録であり、空海が自由無礙(むげ)に書き上げているものです。空海の研究者の中には有名な空海筆の「風信帖」よりも「灌頂記」の方が好きだ、という方もいます。「風信帖」が改まったよそ行きの書としたら、「灌頂記」は空海の素の表情が感じられるところに魅力があるかもしれません。「灌頂記」には一六六人の名が連なっています。空海は、これらの名前を書く際に、その一人一人のことを想い浮かべながら書いたに違いありません。
 新入学、新年度の時期には、お子さんの持ち物にそれぞれ名前を書くのに一苦労した方も多かったのではないでしょうか。色々な形や大きさのラベルに名前を書くことは大変なことですが、お子さんは、きっとその書かれた名前に温かく見守られながら学校に通っていることでしょう。封筒や葉書きの宛名にしてもパソコンを使えば効率よく出来上がりますが、相手を想いながら、手を丁寧に動かして書かれた文字は、その文字自体が肉声のような表情をもって伝わるものです。文字を書くことは記録や伝達の手段としてのみ捉えられがちです。手で文字をしたためる時間は決して無駄な時間ではなく、これからの時代、意図的に確保すべきものであるはずです。