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書作品への暦の表記について(2018年6月号) [2018]

 書作品の落款に暦を記入する際、例えば二〇一八年六月十五日と書こうとしたとしましょう。これでは数字ばかりで、漢字の繁体性が活かされないので、干支や月の別称を用いて書くことの方が多いものです。平成戊戌水無月中澣五日(※中澣は十日という意味もあり、その五日後ということから十五日を表す)とすれば、文学性や造形的な表現力も高まります。
 さて、ここで問題になるのが水無月の表記です。ちなみに六月の別称は他にも常夏月、涼暮月、松風月、風待月、鳴神月などがあります。六月といえば梅雨どき、雨が降ってやまぬ時節に「水の無い月」とはおかしなもので、これは旧暦における呼称に他なりません。師走など年末を表すものであれば問題ないのですが、月の別称の多くは季節と関連してくるため、このようなずれが生じてしまいます。旧暦と新暦とは一月半程季節のずれがあります。明治五年十二月三日を明治六年一月一日と改め、ここから現在の新暦が始まっています。六月が水無月ということは世間では定着していますが、常夏月と書くとさすがに季節感とのずれは大きくなってしまいます。本来の使い方と今の使い方にずれがあるものは少なくありません。五月晴れといえば今はゴールデンウィークの頃の初夏の晴天を指しますが、もともとは旧暦五月の梅雨の雲間に見えるわずかな晴れ間を意味するものでした。七夕なども本来は旧暦の七月七日の行事でしたが本来は、より夜の空が澄む旧暦七月の真夏の頃に行われたもので、この季節感を重視して仙台の七夕祭りなどは、八月七日を挟む三日間で行われています。
 私は、この暦に関する別称を用いる際、水無月など定着性の高いものについてはそれに倣い、実際の季節感と大きくずれる場合は、季節感の方を大切にするようにしています。また、書いた月日をそのまま書かなくてはならないという決まりはありません。これは年賀状を書く時に十二月に書いたとしても一月一日とするのと同じで、暦をどう表記するかでその書の意味するものが変わってくるからです。暦の表記について考えてみることも奥の深い書の探訪には欠かせないと思います。