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年賀状の季節に思う(2018年12月号) [2018]

 平成三十年も残りわずかとなり、何かと気ぜわしいこのごろです。年賀状を書かねばと考えながら、いつもぎりぎりになってしまうのは私だけではないようです。書を学んでいる方々は年末の忙しいさ中、形式的な儀礼にのみ時間を費やすことなく、自らの稽古も兼ね、ぜひあて名も裏面も手書きして下さい。
 先日書のシンポジウムで、登壇された大学教授が小学校時代に若い女性の先生からもらった年賀状についてお話になりました。およそ半世紀の歳月を経て、それはいまだに初恋の想い出と共に大切にしまってあるとのこと。これが手書きでなかったらこんな感懐は湧いてこないであろうというくだり、その通りでしょう。
 書は様々な面で二極化が進んでいると感じています。伝統的な固形墨や毛筆を作る職人が限られた数となってきていることや、書の公募展への参加者の減少といった側面が「書」の衰退であるという見方があります。一方、万年筆や新型のボールペンの売り上げは好調です。以前には見られなかったような書道パフォーマンスなどが、若者のいわばサブカルチャー的な人気を得て流行しています。脳科学の、特に「書字」に関する研究者たちは、最先端の知見を得てか、なるべくして便利な情報機器とは距離をとり、手で書くことを薦めるとともに自らが実践しています。
 IT革命の先駆者ビル・ゲイツは、手で文字を書くことは、これからその意味が変わっていくであろう、と三十年前に予言しています。手紙というほどに、手書きの書状にはその人しか持ちえない感覚が幾重にも盛り込まれ形となり残ります。「書」のイメージや、その社会的な役割も時代に応じて少しずつ変化していくべきものです。
 平成という時代が、過去のものとなりつつあります。来たる時代が人間の持てる素の玉を磨き、その素晴らしさを謳歌出来る、そんな時代の到来が望まれます。来たる年の皆様の御多幸を祈念すると共に、手書きの年賀状を心より楽しみにしています。