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進学進級の四月(2019年4月号) [2019]

 四月、真新しいランドセルを背負い新しく小学校に通い始める子供達のまぶしい季節です。小学校では国語を習います。えんぴつの持ち方、筆順、字形のとり方は、この国語科の書写において行われます。三年生になると今度は毛筆を使うようになります。本やノートのかさばるランドセルを運ぶかたわら不思議な道具のつまった鞄を手にしての通学が始まるわけです。
 小学校でえんぴつで習字をしたり、毛筆を使って書道をしたりすることは、日本の学校としてあたり前のように思われているようですが、これに到る迄にはかなり紆余曲折がありました。「習字」の扱いの歴史を知ることは日本の教育史を知ることと同じ位、国の動勢と呼応しています。明治五年、学制発布となり毛筆習字中心の寺子屋教育から近代的な学校教育へと移行する中で「習字」は一つの教科として位置づけられました。明治三十三年には国語科の中の一科目となり、独立した教科としての地位を失います。これは欧米流のペンマンシップと呼ばれる習字法に似せたもので、ここにも明治の西洋の進んだ文明をとり入れようとする国の姿勢が見られます。また、この改訂においては、字形や書く速さの追求といった、実用的な側面だけを習字に求めたことも大きな転換といえます。
 終戦迄続いた毛筆習字に、昭和二十二年、学校教育における毛筆習字の全廃という大きな転機が訪れます。毛筆の必要性を認めないというGHQの意向です。しかし、昭和二十六年、教育課程の改訂の際、小学校にも毛筆習字が必修ではないものの復活します。これには書道団体による復活運動の影響が大きかったといわれています。そして昭和四十六年、毛筆習字が国語の能力の基礎を培うことが認められ、小学校三年生よりこれが必須とされるようになり現在に至ります。
 言語体系の異なる国の教育を、そのまま我が国の教育にあてはめてみたり、学問を行うことの意義について深く考慮しないまま、国よ富めとばかりに習字は翻弄されてきた感否めません。手で文字を書くことの人間の脳への影響の理解が進む今、それこそ人類が初めて文字を使い始めた頃まで遡り、未来の教育に向けて手書き教育について検証するべきであると思います。