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筆を愛でる(2019年8月号) [2019]

 筆はどの位もつものなのですか、とよく訊かれます。筆の毛先の尖ったところを命毛と呼び、ここが丸くなるまで使える、というのが一般的な答えです。しかし、扱い方によっては、筆の毛の根元に墨がたまって腰が効かなくなったり、時には割れてしまうこともあり、これは洗い方の問題のようです。また大事にしまっておいた新品の筆が、ぼろぼろになってしまったという話も聞きます。これは毛が虫に喰われてしまうことによるものです。特に新品の筆などは糊で固めてあり、この糊を虫が好むこともあります。日々筆を使っていると、筆の手入れにも熟練が増し、その寿命も伸びていきます。
 智永は、書聖王羲之の七世の孫にあたり、書を能くしたことで知られます。その書「真草千字文」は古典作品として有名です。智永は使い古した筆の頭を一石(約一八〇リットル)あまりも入る大籠に入れ、それが五つとも一杯になり、書法を悟ったといわれています。私も筆は棄てることはせず、たまる一方ですが、智永が「退筆塚」を建てたように、筆に感謝する行いをしなければならないと考えています。
 最近、良質の筆が手に入れづらくなってきており困っています。手作業の衰退で、職人が減少していると思いきや、原料の毛の入手が難しくなっている、というのが実際のようです。毛筆に使う毛は、鋏を入れたことのない命毛のある毛の、しかも腰があり、墨の含みや吐き出しのよいものでなくてはなりません。毛先の毛一本に迄神経を行き届かせ、繊細かつ大胆に抑揚を効かせて流れよく書こうとするなら、筆には相応の完成度が求められます。賞状書きなどでは筆の良し悪しは決定的な差になるものです。
 実のところ、毛の質を少し落とせば、筆の供給量自体心配するレベルではないのかもしれません。しかし、良質の毛を持つ羊の減少や、鼬がとりづらくなる時期があったりなどして、高い書き心地を得られる毛筆の原料は貴重なものになりつつあるようです。
 筆を作るには、数十にも及ぶ細かい工程をすべて手作業で行います。その一つ一つが作品なのです。物のあふれる時代、一本の筆を愛で、大切に扱うことは書を理解するに欠かすことは出来ないはずです。