SSブログ

「書」をすることは何かについて考える(2019年10月号) [2019]

 長い梅雨が明けたと思ったら、今度は大型の台風がやってきて、何やら湿った暑い夏でした。皆様如何お過ごしでしたか。
 電子メールなどで文字を「打つ」ことが多い昨今ですが、文字のなぞり書きの練習帳などは求める人が絶えないといいます。文字を打つのと異なり手書きすることは、その身体性が大きく関わってくるだけにその人固有の表情が投影されてきます。よく、なぞり書きをしても自分の字は上手に見えない、といった話を聞きます。それは、ごく細かい点画の書きぶりや、線の抑揚のリズム感、筆圧などの要素が手書き文字にあるからです。「形」は文字の表情の一部に過ぎないのです。
 話すときも発声に滑らかさや、イントネーションをつけるのと同様、手書きにも、こうした表現は大切であり、また手書きだからこそ表現が可能なわけです。「何を伝えるか」よりも「いかに伝えるか」の方に重きが置かれる場面も多々あります。ただし「話す」のと違い「書く」ことは、文字性、空間性、手の細かい動きを要します。「話す」ようにして「書く」ことは難しいことですが、書の追求すべきはこれに近いものがあると思います。
 今年も年間賞発表の時節となりました。受賞される方々の稽古ぶりを伺うと、部活動などで身体を鍛えつつ、書とも向き合いメリハリのある充実した毎日を送っている方も多いそうです。「書」という身体性が高く、文学的であり美術的でもあり、リズム性という音楽的要素までも備えた道は奥深く、分け入ることが困難とさえ思われる程です。しかし、その道程の先には、現代人がややもすると見失いがちな人間の持っている大切な能力の獲得へ続くと私は考えています。
 会員の皆様の日頃のご精進ぶりに敬意を表すると共にこれからの益々のご発展を期待しております。