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文房四宝で育む手と脳(2019年11月号) [2019]

 文字を書くためには道具が必要です。文人墨客たちは、硯に水滴をたらし、墨で磨り、それを筆に含ませ、紙に文字を書いてきました。この書をするための四つの道具、すなわち筆墨硯紙を古来より「文房四宝」と呼び大切に扱ってきました。この四つの文房具の他にも、文鎮や印泥、毛氈(下敷)、印、水滴、筆巻、筆架……等々、あげればきりのない程、文房の場面では様々な道具が使われますが、中でもとりわけこの四つの道具がその代表とされてきたのです。高価な紙や墨を使えばよい書が書けるわけではありません。「紙墨相発」というように、紙と墨との相性が悪ければ、自在な書の表現は出来ません。用途目的に沿って紙や墨を選ぶ力も書の実力のうちです。
 この二、三十年でしょうか、「書く」ことがボタンを押したりパネルにタッチすることに急速にとってかわられるようになりました。手の動きは、人間の判断や集中、学習、計画、抑制、創造など機能を司る前頭葉の広い領域を使用するものであり、人類の脳の発達が手作業の発達と関連があることを示しています。手作業の発達と共に高度化した文明は、その最も巧緻な運動が可能な手の単純な動きで文字を書く機械を作り出します。手の自動化された熟知運動は、前頭葉の動きではなく、脳の後頭部の小脳に移ります。筆を通じて手にかかってくる圧は頭頂葉の体性感覚野へと送られ、今どの位圧がかかっているからこの位力をかければこの位の太さの線が書けるであろうと、脳の中でのやりとりが展開されます。これがタイピングであれば、強く押しても軽く押しても同じ文字が書けてしまい、自ら手の動きを視覚でも確認することもないため、手書きで行うような脳の活動は起こりません。
「筆硯佳友を得る」という言葉があります。これは、学問をするとよい友達に恵まれる、という意味です。学問をするということは前述のような人間の高次な活動を高めることとも言い換えられます。この高次な働きの中には、「恥」とか「思いやり」といった人の感情も含まれています。文字を書くことの役割は、「記録」や「伝達」のみではなく、こうした脳の可塑性の視点からも捉えられるべきでしょう。そうすれば筆墨硯紙がなぜ文房四宝であるかが明らかとなるはずです。