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変体がなと万葉がな(2021年8月号) [2021]

 「かな」は、漢字が真名であるのに対し、その音を借りて使うことから仮名(表音文字)とされました。大陸において漢字は、その意味のみを用いる表意文字として使われてきましたが、日本では、その漢字の音を借りて日本の言葉を書き始めます。例えば「やま」「かわ」を「山」「川」ではなく、日本で使われている言葉の音にあてはめて「也磨」「可波」などと表記したのです。
 日本に漢字がもたらされてから奈良時代までの日本の文字文化黎明期の頃、それが「かな」として使われたとしても、その形は漢字そのものであり、それが漢字として使われているのか仮名として使われているのかその文字を見ただけでは分からなかったわけです。現代では一見して、それが「かな」なのか「漢字」なのかが分かります。これは平安時代から始まりました。漢字の音だけを借りる場合は、漢字をくずした形を用い、それが明らかに「かな」だと分かるようになります。流れるような「かな」は、日本独特の洗練された書美を生みだします。日本の和の心を表現する和歌を、この「かな」で書きしたためることは、現代でも「かな書」として、書の一分野となっています。
 変体がなと万葉がなの違いについて質問を受けることがあります。変体がなという言葉自体が出来たのは、明治三十三年に、教育の現場で一字一音主義が採用され、「平がな」が出来たことによります。それ以外の「かな」のバラエティーは「変体がな」となったわけです。広義で捉えれば、万葉がなも変体がなの一種となりますが、平安時代の草体化が進んだ頃には「かな」として用いられる文字は絞られ、その数はぐんと減少します。これが狭義の変体がなです。
 前出の「也磨」の「磨」の文字は、いわゆる「かな書」の世界では「ま」の音として用いることはありません。変体がなで使われる「ま」は「末 万 満 萬 馬 麻」ですが、万葉がなでは「末 万 満 馬 麻 真 磨 摩 前 間 鬼 莽 麼 魔」のように多くの文字が使われていました。万葉がなは、その名のとおり万葉集でも用いられています。日本人が文字を使い始め、それを自らのものとした頃、日本は世界史上においても多くの傑出した文化を開花させています。「かな」を生み出した先人の美意識は、今をもって輝き続けているのです。

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