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右上がりの文字と一の線(2010年2月号) [2010]

 添削を受けていると文字の角度、特に横画の右上がりについて指摘されたことはありませんか。市販の筆跡による性格判断の本をひもとくと、右上がりの文字を書く人は、それが強ければ強いほど前へ進もうとする意欲が強く積極的な人。また、活字のように水平に書く人は、与えられた仕事をコツコツとこなす誠実な人。右下がりに書く人は自然に流されることを嫌い批判精神旺盛な人、とありました。私の知る限り例外は多くあり、筆跡で性格がずばり分かり、さらに恋愛運まで当たるとなると、ほとんど占いの領域ではないかと首をかしげたくなることもあります。
 実際に私が自分で文字を書いている時の指の動きを見てみると、指先の伸縮に加えて若干手の平全体を手首を中心として車のワイパーのように振っています。大筆で横の線を書く際も腕のつけ根を軸として同様の動きをしています。ペンや筆を持って文字を書く姿勢でそれを横に振ってみると、人間の身体の機能上必然的に右上方に線が
動いていくことが分かります。ただし、右上がり過ぎの文字は読みづらく、読み易い水平に近い横画を書くためには、意識的にそれを抑え微妙に指や手、腕のコントロールを調整しなくてはなりません。
 書の世界では、一の線を書く難しさに気がつくことが大切と言われます。活字とは異なり、ほぼ水平ながら表現力の高いやや右上がりの動きを持ち、同時にトン・スー・トンといった三折法のリズムでそれを描くわけです。身体をコントロールするという面から考えれば相当高度な運動に違いありません。もちろん持ち方がおかしければ美しい一の線をひくことは難しいでしょう。
 右上がりの文字を書く人が筆跡判断では積極的な人ということでしたが、身体の慣性に任せて猪突猛進に手指を動かすことが右上がりの原因だとしたら、この占いにも根拠があるのかもしれません。
 書を深く追求していくと、文字の角度を自在に変化させるということに取り組むようになります。人類の進化は、思考を伴う細かい手作業の進化と平行してきました。ボタンを押せば暮らしていける便利な時代が到来しています。それだけに、文字を書いて心を見つめ直す時間を回復することが、今一番必要なことではないかと思います。

「実り」充実の増ページ(2010年1月号) [2010]

 あけましておめでとうございます。世の中が目まぐるしく動く昨今、変わらぬ平安な歳旦を迎えられますことを嬉しく思います。本会も日頃の稽古、行事を一つ一つこなし、少しずつ成長しています。
 平成二十一年度の学習指導要領より小中高を通して新しい事項が加わりました。それは「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」です。日本は諸外国と比べても豊かな言語文化を保持していながら、それが近代化の中で薄められてきた歴史があります。現代の日本人は、およそ百年も前の日本の手書き文字すら一般の人にとっては解読が難しいのに対し、欧米のそれは数百年前のものでも可能です。わが国における伝統的な文化との断絶はいまや危機的状況であり、日本人がどこから来てどこへ行くのかを見失わせている原因となっています。
 昨今の和風ブームには、日本の根の部分を再評価しようという気運の高まりが感じられます。しかしそれが面白さを追求するだけであったり、独善に陥らないようにすることが大切です。そのためにも書教育において本会の役割は益々大きくなっていくことでしょう。
 「実り」も、書の生涯学習の充実を期し今月から四ページ増やすこととなりました。まず以前から懸案だった和風の書の粋でもある「古典かな」を基礎から学ぶこと。そして古典漢字課題を平行して学習することも可能となりました。古典の書は長い歳月の荒波にもまれ、なおかつ多くの人の師表とされる名品です。それだけに、微妙なそしてときには大胆な表現が均衡調和しており、極めて高い鑑識眼にも耐えうるものとなっています。ただし初学者にとって、時に難解で、確実な上達の妨げとさえなりえることを覚えておかなくてはなりません。これは例えれば、まだたて画をまっすぐに書けない小学一年生の子供に、微妙な線のゆらぎについて教えてみても、それがただの曲がった線と解釈されかねないのと同じです。古典の真の理解のためにも自らの書の上達に励み、指導者との交流の中で一歩一歩前進していくことが大切です。
 また、準師範部の作品掲載欄も広くなり、より多くの秀作が誌面を飾ることになります。手本や自らの作品だけなく、他の人の書を鑑賞をすることによって得られる目線の高さもあります。
 この「実り」が、書を通して日本人の心を育むに資す広場へと成長を続けることを願い、年頭のあいさつとさせていただきます。