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日本の文字を手書きするということ(2012年2月号) [2012]

 年末の休みを利用して学生らと共に中国の美術館、史蹟めぐりをしてきました。書物から得る知識と違い本物に触れるということは、書の道に携わる私にとって貴重な経験となりました。今回は蘇州や揚州にまで足を伸ばし、特に清朝時代の書について理解を深めることが出来ました。
 日本の外に出るといつも感じることがあります。それは人々に活力があるということです。日本では、街中を歩いていても下を向いて機械を操作している人が多く見られますが、欧米、アジアを見渡してもそのような光景はお目にかかれません。海外から来日した人も同じような感想をよく述べます。人が前を向いて元気よく歩いている姿というのはあたり前なのですが、日本に戻ってみると逆にそれが羨ましく感じられてしまいます。
 日本人がかくも携帯メールが好きかを考えるとしたら、まず中国語や英語でメールを打ってみることでしょう。中国語を入力する際には打ちたい漢字のその「音」をローマ字入力して変換します。一文字一文字を変換して、文章を構成していかなくてはならないのですからこれは結構骨の折れる作業です。英語も最近では「入力予測変換」のおかげでスペルを曖昧に覚えていたとしても正しい文章を打つことが可能になりました。しかし基本的には「音」を入力して「語」に変換するという作業ではないのでこれも面倒なものです。これらに比べ日本語はどうかというと、ひらがなのみの文章だとしたら、それこそローマ字入力してそのまま文章となります。漢字を文章中に入れるにせよ、文章における漢字の量は中国語の比ではありません。日本人がメールに依存しやすいのは、日本語の特質にあるとも言えます。
一方、日本語を手で書くことの何と難儀なことか。漢字という字種の多い繁体な文字を駆使しながら直線的な漢字と、曲線中心のかなを交ぜ書きしなくてはなりません。メールの方が早いからといってそればかりに頼っていると便箋一枚に間違いなく一回で思いを込めて文章を綴るということは生涯出来なくなってしまうかもしれません。失敗を重ねながら少しずつ年を経て成長していけるゆとりが社会全体で希薄化しているかのようです。そういえば二月十四日はバレンタインデー。最近はチョコレートの他に一品つけるのが流行しているそうで、一番のプレゼントは自筆の手紙だとラジオで言っていました。日本語を手書きするということ、その大切さに日本人が少しずつ関心を持ち始めているような気がします。

人間の底力を信じる年に(2012年1月号) [2012]

 列島全体がいまだ大災害の傷の癒えぬ中、平成二十四年の幕が上がりました。昨年は長い間暖めてきた個展も開催することが出来、私にとっては書家人生の大きな節目となりました。ご支援いただいた方々には改めて御礼申し上げます。
 筆で文字を書くというアナログな仕事に従事していると、昨今の科学の進歩はまさに近未来を具現化しているかのように見えます。しかしながら同時に、その人間が生み出した科学の力を人間自身が制御しきれなくなっているのではないかという事象も起こり続けています。
 パソコンのワープロ打ちは人が手で文字を書く労をなくし、インターネットやSNSは家から一歩も出ずとも莫大な量の情報を得たり発信したり出来るようにしてくれました。ビジネスだってパソコンの前に座ってボタンを押してさえいればすべて用が足りる時代が到来しつつあります。ただ、人が昔夢見たこの現実の社会は果たして今後未来永劫に続いていくのでしょうか。どうしても歩かねばならない、ということがなくなり、恥ずかしながらも手で文字を書かねばならない、ということがなくなり、メールのおかげで相手の時間やご機嫌を伺いながら電話で会話をしなければならない、ということもなくなってきています。生きていく為には「…しなくてはならない」様々な困難を乗り越えて先に進んでいかねばならないはずですが、このような「…しなくてはならない」ことから現代の科学は人を開放してくれました。しかし逆に考えれば、いやがおうでもしなくてはならない試練を経て人は年を重ねる程に成熟してきたともいえます。
 人間が太古の昔から続けてきた、生きるための行動とその人間性の成長の相関関係が崩れてきているように感じられて仕方ありません。便利な機械の溢れている昨今、少し立ち止まり自分の内にあるすばらしい玉を磨くことについて考えてみることが必要だと思います。
 会員の皆様方の今年一年の御多幸を祈念しますと共に、平成二十四年が人間の底力を信じられるような、そんな年の始まりであるよう念じています。

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