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字典を使いこなす(2019年12月号) [2019]

 書は文字を用いるのですから字典は必携です。三体字典といえば楷行草で、五体となれば、これに篆隷が加わります。本会で学ばれている方は川原玄雲書の三体字典(ペン、毛筆)をお使いのことと思います。この字典には戦後、日本で定められた常用漢字や人名用漢字約二千数百文字が収められています。五体字類(西東書房刊)になると約四千数百の文字が収められ、それに対し四万数千文字の字形が掲載されているのですから、平均すると一文字につき約十文字、一書体につき二文字が掲載されている計算になります。川原玄雲書の三体字典が一人の書家が全てを書いたのに対し、五体字類のような字書は古典の名跡を集めて作られたものです。
 こうした字典類はそれこそ数多の種類が出版されており、書作の手がかりを得るためには、こうした字典類を座右に増やしていくことも大切です。中には篆書体の一書体だけの字書で一万五千文字、二十五万もの字形が掲載されているものまであります。この字典などはB5サイズで上中下の三巻、総頁数は四千頁にも及びます。篆刻や書の専門家なら有難い字典なのですが、入門用には不向きかもしれません。中国に出掛けた時などはこうした書籍を扱う書店に立ち寄ることにしています。日本より手頃な値段で質の高い字典とめぐり会えることもあり、重いのですが出来るだけ集めるようにしています。
 作品にしたい詩や言葉などを選び、それをどう書き表すかは、まずは字典にあたってみるべきでしょう。書を学ぶ上でこの作業の積み重ねが実力の深化につながるからです。一方、字典に載っているからといってそれを盲信し、そのまま写せば作品になるというわけではありません。字典に載っている文字は、文の一部から抜粋したものであり、前後関係から本来開放的に書ける文字を閉鎖的に表現したり、本来なら右に払うところを意図的に左に抜いたりしたものが字形のバラエティーとして掲載されているからです。
 字典から学ぶことは多いものです。しかし同時に字典を使いこなすことは難しいものです。自らの内にある造形感覚や運筆のリズム性を養いうる手段として字典を友とすれば、墨場の広がりも豊かさを増すことでしょう。

文房四宝で育む手と脳(2019年11月号) [2019]

 文字を書くためには道具が必要です。文人墨客たちは、硯に水滴をたらし、墨で磨り、それを筆に含ませ、紙に文字を書いてきました。この書をするための四つの道具、すなわち筆墨硯紙を古来より「文房四宝」と呼び大切に扱ってきました。この四つの文房具の他にも、文鎮や印泥、毛氈(下敷)、印、水滴、筆巻、筆架……等々、あげればきりのない程、文房の場面では様々な道具が使われますが、中でもとりわけこの四つの道具がその代表とされてきたのです。高価な紙や墨を使えばよい書が書けるわけではありません。「紙墨相発」というように、紙と墨との相性が悪ければ、自在な書の表現は出来ません。用途目的に沿って紙や墨を選ぶ力も書の実力のうちです。
 この二、三十年でしょうか、「書く」ことがボタンを押したりパネルにタッチすることに急速にとってかわられるようになりました。手の動きは、人間の判断や集中、学習、計画、抑制、創造など機能を司る前頭葉の広い領域を使用するものであり、人類の脳の発達が手作業の発達と関連があることを示しています。手作業の発達と共に高度化した文明は、その最も巧緻な運動が可能な手の単純な動きで文字を書く機械を作り出します。手の自動化された熟知運動は、前頭葉の動きではなく、脳の後頭部の小脳に移ります。筆を通じて手にかかってくる圧は頭頂葉の体性感覚野へと送られ、今どの位圧がかかっているからこの位力をかければこの位の太さの線が書けるであろうと、脳の中でのやりとりが展開されます。これがタイピングであれば、強く押しても軽く押しても同じ文字が書けてしまい、自ら手の動きを視覚でも確認することもないため、手書きで行うような脳の活動は起こりません。
「筆硯佳友を得る」という言葉があります。これは、学問をするとよい友達に恵まれる、という意味です。学問をするということは前述のような人間の高次な活動を高めることとも言い換えられます。この高次な働きの中には、「恥」とか「思いやり」といった人の感情も含まれています。文字を書くことの役割は、「記録」や「伝達」のみではなく、こうした脳の可塑性の視点からも捉えられるべきでしょう。そうすれば筆墨硯紙がなぜ文房四宝であるかが明らかとなるはずです。

「書」をすることは何かについて考える(2019年10月号) [2019]

 長い梅雨が明けたと思ったら、今度は大型の台風がやってきて、何やら湿った暑い夏でした。皆様如何お過ごしでしたか。
 電子メールなどで文字を「打つ」ことが多い昨今ですが、文字のなぞり書きの練習帳などは求める人が絶えないといいます。文字を打つのと異なり手書きすることは、その身体性が大きく関わってくるだけにその人固有の表情が投影されてきます。よく、なぞり書きをしても自分の字は上手に見えない、といった話を聞きます。それは、ごく細かい点画の書きぶりや、線の抑揚のリズム感、筆圧などの要素が手書き文字にあるからです。「形」は文字の表情の一部に過ぎないのです。
 話すときも発声に滑らかさや、イントネーションをつけるのと同様、手書きにも、こうした表現は大切であり、また手書きだからこそ表現が可能なわけです。「何を伝えるか」よりも「いかに伝えるか」の方に重きが置かれる場面も多々あります。ただし「話す」のと違い「書く」ことは、文字性、空間性、手の細かい動きを要します。「話す」ようにして「書く」ことは難しいことですが、書の追求すべきはこれに近いものがあると思います。
 今年も年間賞発表の時節となりました。受賞される方々の稽古ぶりを伺うと、部活動などで身体を鍛えつつ、書とも向き合いメリハリのある充実した毎日を送っている方も多いそうです。「書」という身体性が高く、文学的であり美術的でもあり、リズム性という音楽的要素までも備えた道は奥深く、分け入ることが困難とさえ思われる程です。しかし、その道程の先には、現代人がややもすると見失いがちな人間の持っている大切な能力の獲得へ続くと私は考えています。
 会員の皆様の日頃のご精進ぶりに敬意を表すると共にこれからの益々のご発展を期待しております。

‶実り″五百号達成(2019年9月号) [2019]

本誌″実り”が五百号を迎えました。昭和五十三年一月の創刊以来四十一年と八ヵ月、一月も休まず発行し続けられました事、諸先生方、会員の皆様、事務局職員の方々、関係各位に厚く御礼申し上げます。
 創刊当時は、まだ新聞なども金属で出来た活字を一本一本選んでそれを組み印刷をした時代でした。そもそも漢字かな交りの日本語をタイピングして作成するワープロ機能を備えたコンピュータが実用化されておらず、家庭、学校、職場など、すべてにおいて「手書き」をすることが当り前でした。
 創刊から十年を過ぎ、平成の時代に入った頃から携帯電話やコンピュータが急速に普及し始めます。この頃、学校教育において手書き教育の意義とは、とよく疑問を投げかけられたものです。「実り」は、このように書字環境が大きな変化を遂げる中、手で文字を書く意味について考えを深め、社会の求めるところと対話を続けながら、しっかりと成長してきました。
 今年、日本の大手製薬会社がアルツハイマー型認知症の新薬の開発を中止し話題となりました。この分野の新薬開発には世界で六十兆円以上もの開発費が投じられたそうですが、現在のところ、どこでも同様の結果に終っているといいます。人類が文字を手にして以来、文明は急速に進歩し、大きな繁栄を手にすることが出来ました。一方で、人の脳や心のあり様に起因する問題が頓に増加していることに気づいている方もいらっしゃることでしょう。
 百歳以上で元気に活躍されている方の共通の生活習慣に「書道」をしていることが挙げられる、というTV番組を視ました。文字の読みや意味を理解し、どのように美しく書こうかと考えを深めることは脳の様々な領域の同時進行的な活動を促すものであり、その活動はボタンを押したりパネルをタッチしたりして文字が作れるからといって代替されるものでは決してありません。
 人生のほとんどにおいて手書きをしてきた世代の方にとって、手書きは古く、過去のものとして捉えようとする傾向がよく見られます。一方、生まれながらにしてタイピングが日常である世代にとって「手書き」は興味のあるものと映っているようです。
 私は、それこそ有史どころか人類誕生以来の大きな転換期に時代はさしかかっていると考えています。それは便利さ、情報との距離の置き方など、人が今迄あたり前に追求してきた価値に対する問いかけです。
 書道教育は大変、公益性の高い事業です。その収穫は何十年か、何百年後に現れるものとも言えるでしょう。「実り」が遠い将来、どのように成長していくかに夢を馳せながら、これからも会員皆様と共に歩んでいきたいと思います。

筆を愛でる(2019年8月号) [2019]

 筆はどの位もつものなのですか、とよく訊かれます。筆の毛先の尖ったところを命毛と呼び、ここが丸くなるまで使える、というのが一般的な答えです。しかし、扱い方によっては、筆の毛の根元に墨がたまって腰が効かなくなったり、時には割れてしまうこともあり、これは洗い方の問題のようです。また大事にしまっておいた新品の筆が、ぼろぼろになってしまったという話も聞きます。これは毛が虫に喰われてしまうことによるものです。特に新品の筆などは糊で固めてあり、この糊を虫が好むこともあります。日々筆を使っていると、筆の手入れにも熟練が増し、その寿命も伸びていきます。
 智永は、書聖王羲之の七世の孫にあたり、書を能くしたことで知られます。その書「真草千字文」は古典作品として有名です。智永は使い古した筆の頭を一石(約一八〇リットル)あまりも入る大籠に入れ、それが五つとも一杯になり、書法を悟ったといわれています。私も筆は棄てることはせず、たまる一方ですが、智永が「退筆塚」を建てたように、筆に感謝する行いをしなければならないと考えています。
 最近、良質の筆が手に入れづらくなってきており困っています。手作業の衰退で、職人が減少していると思いきや、原料の毛の入手が難しくなっている、というのが実際のようです。毛筆に使う毛は、鋏を入れたことのない命毛のある毛の、しかも腰があり、墨の含みや吐き出しのよいものでなくてはなりません。毛先の毛一本に迄神経を行き届かせ、繊細かつ大胆に抑揚を効かせて流れよく書こうとするなら、筆には相応の完成度が求められます。賞状書きなどでは筆の良し悪しは決定的な差になるものです。
 実のところ、毛の質を少し落とせば、筆の供給量自体心配するレベルではないのかもしれません。しかし、良質の毛を持つ羊の減少や、鼬がとりづらくなる時期があったりなどして、高い書き心地を得られる毛筆の原料は貴重なものになりつつあるようです。
 筆を作るには、数十にも及ぶ細かい工程をすべて手作業で行います。その一つ一つが作品なのです。物のあふれる時代、一本の筆を愛で、大切に扱うことは書を理解するに欠かすことは出来ないはずです。

令和の時代の手書きの役割(2019年7月号) [2019]

 様々な事件が日々起こる中で、防犯カメラやドライブレコーダーが威力を発揮するようになりました。一昔前ならうやむやにされそうな事件も動かぬ証拠で犯人を追いつめます。科学の進歩は真実を現にし、犯罪の抑止にも役立っています。一方で家庭の中などプライベートな空間に迄こうした機器を設置するべくもなく、まして心の中まで写しだしてくれるカメラなどはありません。人の心に起因する諸問題が山積する中、水際の法によって制しようとしても根本的な解決にはなりません。「法多くして国危うし」とはよくいったものです。
 「書は心の中身を描き出す絵」とは江戸の頃より言われてきたことです。メモ一つを見てもあの人の字と分かったり、筆圧や点画の書きぶりで、その人の心のようすが窺えたりするものです。大脳皮質にはそれぞれの領域に役割があり、人が手書きする場合、空間、言語、リズム、手指の細かい動きなど、脳の広い領域を同時に動かします。ですから脳のちょっとした変化が手書きの文字には現れてきます。
 ボタンやパネルにタッチすることにより日本語を書けるようになっておよそ三十年が経ちました。欧文タイプライターは一八七〇年代に実用化されましたが、その三十年後にドイツやフランスで手書きを学ぶ学校が出来始めています。現在の日本も同じで、手書きに対する世間の関心の高まりを肌で感じています。
 日本語のタイピングは、英語などと違いスペリングを考えることなく音を入力するだけで書き上がるので簡単です。逆に手書きすれば数千からの漢字に加え、かなを交ぜ書きしなくてはなりません。日本の書字言語は、タイピングすると世界でも最も易しくなり、手書きすれば最も難しい部類になります。このタイピングと手書きの差異については、脳活動測定機器などによりデータからも明らかになっているところです。
 言葉を司る領域は、人のモラルの所在とされる前頭前野と重なります。「言葉の乱れは国の乱れ」とも言います。科学が行きつくところ迄来た感のある今日、同時にモラルの低下が大きな問題を引き起こしています。ごく身近で目立たない手書きの存在が、令和に繊細なひびきを覚えるが如く、その役割を果たしてくれることを期待しています。

書字と脳の研究発表を了えて(2019年6月号) [2019]

 三年程前から始めた書字と脳に関する実験の初めての発表を了えることが出来ました。この研究は手書きと、パソコンを用いたタイピング書字における大脳皮質の活動のようすを観察したもので、実験の課題の選定や被験者三十余名のデータの測定、解析など、質量共に国内外に類を見ない実験となりました。このような大がかりな実験はとても個人で行えるものではありません。複数の大学の研究室を始め脳科学者、医師、言語聴覚士、統計解析の専門家等多くの方々の御助言、御協力を賜りました。学究人の真摯な姿勢には頭が下がるばかりです。
 脳は領域によってそれぞれ役割が異なっており、今回はその三十七ヶ所の活動を同時に測定しました。データの量が膨大であり、今のところ三十七ヶ所中ブローカ野(言語中枢)周辺の一ヶ所のみの解析です。興味深い点は、このブローカ野周辺において「文字を写す」という行為では、さほど差のなかった言語野周辺の活動が、「作文」になると手書きの方がタイピングの二倍程活発になるというところです。つまり、言語能力を高めるような教育をしようとするのならタイピングよりも手書きした方が効果的である可能性がこの実験から示唆されるわけです。人間の活動は、その行為が獲得されるまでは大脳を用いますが、それが自動化された熟知運動になると、小脳の活動となってしまいます。手書きはタイピングと異なり、手指の細かい運動やリズム感、空間の構築性を伴います。そのためタイピングよりもはるかに小脳の活動となりにくい側面があります。
 私が、書字と脳の研究を始めたのは十七年程前のことになります。今回発表をして、経験や理論のみではなく自ら集めたデータを元に研究を進めていくことの大切さに改めて気付かされました。また発表を重ねる度に、参加した方々から有益な御質問、御感想をいただけることが大きな財産となっています。今後も日本の文字を手書きすることについて、それぞれの分野の方々に適切な説明をし、ご理解いただけるよう努力を重ねていくつもりです。会員の皆様も機会があれば、御参会心よりお待ち申し上げております。

文字と文明そして書(2019年5月号) [2019]

 歴史を大きく分けるとしたら、文字による記録の残る有史時代と、それ以前の先史時代の二つになります。人類は文字を発明することにより時間と空間を超えて、その英知を伝達、蓄積し文明を発達させていきます。これはある意味で情報通信革命といえるでしょう。
 人類が文字を使い始めたのは、今からおよそ五千年程前、メソポタミアやエジプトなどとされています。文法を伴わないマークや記号の類に至っては一万年程前から確認されています。人類が数百万年にわたる狩猟、採集といったその日暮らしから農耕、牧畜の生活を始めたのも、ちょうどこの頃です。最後の氷河期が終わり、人が生きていくのに以前より楽に生活出来るようになったのにもかかわらず、未来を考え、種を蒔き始めるのです。学校の教科書などでは、余剰生産物の発生が社会の階層化を生み出したとしています。農耕や牧畜の起源については多くの研究がなされてきましたが、実のところ、こうした営みが発生した過程を証拠立てる確かなデータはなく、真相はいまだ闇の中です。
 書字と脳の研究をしていると文字を「書く」という行為は空間の構築性、リズム性、手の細かい動き、言葉の使用など、異なる脳の領域を同時に広く使用し、結果、その並列的な処理の中枢を担う前頭前野の機能の使用を促す、ということが分かります。この前頭前野の機能の中には「創造」や「推論」「計画」などといった「先のことを推量して今何をしたらよいかを考える」機能があり
ます。人類が文字を持ち得たことが、その伝達、記録という面だけではなく、それを「書く」ことによって人間の高次な機能を獲得し、文明を高めていったと考えた方が、色々な面でつじつまが合います。例えば何の脈絡もなく出現しては消えていった高度な文明など、文字の持つ伝達や記録の機能だけでは説明しえない事象も証明可能となります。
 現在の情報通信革命は、人類が文字を手に入れた頃と異なり、複雑なコンピュータ技術によって支えられています。情報を人や社会の為に有益に活かすか否かは結局のところ人の心なり、脳に委ねられているはずです。高度に発達したコンピュータに仕事を奪われたり、コントロールされるのではないかと心配されるなら、文字を手書きすることについて、今一度考えてみるのもよいかと思います。

進学進級の四月(2019年4月号) [2019]

 四月、真新しいランドセルを背負い新しく小学校に通い始める子供達のまぶしい季節です。小学校では国語を習います。えんぴつの持ち方、筆順、字形のとり方は、この国語科の書写において行われます。三年生になると今度は毛筆を使うようになります。本やノートのかさばるランドセルを運ぶかたわら不思議な道具のつまった鞄を手にしての通学が始まるわけです。
 小学校でえんぴつで習字をしたり、毛筆を使って書道をしたりすることは、日本の学校としてあたり前のように思われているようですが、これに到る迄にはかなり紆余曲折がありました。「習字」の扱いの歴史を知ることは日本の教育史を知ることと同じ位、国の動勢と呼応しています。明治五年、学制発布となり毛筆習字中心の寺子屋教育から近代的な学校教育へと移行する中で「習字」は一つの教科として位置づけられました。明治三十三年には国語科の中の一科目となり、独立した教科としての地位を失います。これは欧米流のペンマンシップと呼ばれる習字法に似せたもので、ここにも明治の西洋の進んだ文明をとり入れようとする国の姿勢が見られます。また、この改訂においては、字形や書く速さの追求といった、実用的な側面だけを習字に求めたことも大きな転換といえます。
 終戦迄続いた毛筆習字に、昭和二十二年、学校教育における毛筆習字の全廃という大きな転機が訪れます。毛筆の必要性を認めないというGHQの意向です。しかし、昭和二十六年、教育課程の改訂の際、小学校にも毛筆習字が必修ではないものの復活します。これには書道団体による復活運動の影響が大きかったといわれています。そして昭和四十六年、毛筆習字が国語の能力の基礎を培うことが認められ、小学校三年生よりこれが必須とされるようになり現在に至ります。
 言語体系の異なる国の教育を、そのまま我が国の教育にあてはめてみたり、学問を行うことの意義について深く考慮しないまま、国よ富めとばかりに習字は翻弄されてきた感否めません。手で文字を書くことの人間の脳への影響の理解が進む今、それこそ人類が初めて文字を使い始めた頃まで遡り、未来の教育に向けて手書き教育について検証するべきであると思います。

改元に思う(2019年3月号) [2019]

 新元号が何に決まるかについて世間がかまびすしいこのごろです。平成に改元された頃、しばらくすると、毎年書いている幼稚園の卒園証書の生年月日の年号のところが空欄になって届きました。「昭和」と「平成」生まれが混在するため、「昭和」と印刷された文字がなく、一枚一枚「昭和」「平成」と書き分けました。そうか、平成生まれも、もう小学生かと感慨にひたったことを覚えています。そしてまたしばらくすると、小学校の卒業証書で、中学校、高校、大学と、そのたびに「昭和」「平成」と書き分け、感慨は時の流れと共に確実にやってきたものです。この卒業証書の年号を書き分けるという仕事から解放され、過去のものと考えていた作業がまた六年後、再び訪れることとなるわけです。
 改元は天皇の代始や瑞祥の出現で行われたり、平安時代以後は天災、戦乱、飢餓、疫病の流行などの不吉な事件に際しても隆んに行われてきました。大化から平成までの年号の数は南北朝時代の南北両朝の年号も含み合計二四五に達しています。一年号の平均は約五年間で、一人の天皇が二~三の年号を用いたことになります。元号を定めることは為政者の権威の証でもありました。しかし、現在こうしたいわゆる「元号」を用いているのは、世界広しといえども日本だけになっています。
 書をしている人なら、作品に年を書く際には、二○一九年なら、平成己亥などと書くことはあたり前ですが、中国の書家の方々は、西暦か、もしくは干支のみで年を記すのが一般的です。
 人類は文字を手にしたのと同時に、時を刻み始めました。現代でも文字を持たないアマゾンの奥地の部族などの言葉は「現在形」しかないこともあるといいます。時を刻む術を、意味ある漢字に込め、それを書きしたためることが出来ることは、書をする者として、きっと恵まれていることなのかと思います。新しい年号が、日本独自の文化を享受出来る、そんな元号であってほしいと願っています。

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