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師走の雑感(17/12) [2005]

年の瀬もおしせまり、何かと慌しいこのごろです。振り返りますれば、千葉大学での論文発表、埼玉県教育委員会での講演、篆刻講習会等々、今年も思い出に深くきざみ込まれるであろう、よき日々に恵まれたと感謝の念ひとしおのこのごろです。その感慨にひたるのもつかの間、ふと手にとった「実り」のバックナンバーの今年の一月号「巻頭言」を読み返してみますと、「今年は何としてでも年賀状の本を一冊完成することを本欄で公言し目標にしたく思います」という一節が目に飛び込んできました。
 何もこの約束を忘れていたわけではありません。ただ年末の賀状シーズンに間に合わせるためには、五月頃にはほぼ完成していないと間に合わない計算になります。四月頃迄は、やむにやまれぬ事情があり、それに忙殺され、五月過ぎると、今年の出版はもう無理だろうということで諦めていたというのが実際です。不言実行が美徳とされる我が国で、有言不実行という失態を自らが演じてしまったこと釈明の余地はございません。
 しかし、あえて「災い転じて福となす」または「人間万事塞翁が馬」という言葉を拝借することが許されるのであるなら、この一年間、年賀状の本の出版のことが頭の片隅に常にあったせいか、事あるごとに無意識に年賀状の素材を気にしてアンテナを伸ばし、私なりに頭の中に賀状の本の構想をふくらませてこれたような気がします。
 そのアンテナの一つにひっかかっていることがあります。最近の封書、葉書き類には差出人名(リターンアドレス)が書かれていないものが増えてきているように見受けられるのです。空間的な配字感覚、文字の大小、余白等を考えて正確に文字を書きおろしていく作業は存外頭を使う作業です。美しく見栄えのする年賀状を作成するのに機械を使うという、よからぬ風習のまかりとおる昨今です。それだけにこのような時流に配慮した本作りを心掛けなければと頭をひねっております。
 今年末に、ややおしせまってはおりますが、年賀状書きの講習会をご用意いたしました。会員の皆様の生の声に耳を傾けつつ、来年こそは手書き文字文化振興のためにもぜひ年賀状の本を作りたいと考えています。言い訳がうまくなったとの謗を免れえないことは十分承知しております。来年も重き荷を負うて長き道を行く覚悟で一つの道を進んで行きたく思います。


近頃の若い者ときたら…(17/10) [2005]

「近頃の若い者ときたら…。」という文句は、年配者が若者の礼儀のなさ、無作法を嘆くきまり言葉として、大昔から使われてきたものです。前月のこの欄でご紹介した山本五十六もその書簡の中で「いまの若い者はなどと、口はばたきと申すまじ」と、やはり同じような言葉を残しています。
 この言葉は、年配の者自らが、過去の我が身をすっかり忘れ若者を揶揄する、歴史上常に繰り返されてきた現象として捉える人もいます。人間の意欲や礼儀のよさ、自己の欲望にブレーキをかける力などはペーパーテストのような学力では計れないので人間は昔から全々変わっていないのだという見方です。
 しかし、実際にはこのような意欲、礼儀、抑制といった人間の高次な機能を客観的に計測する方法があり世界中で行なわれていることをご存事でしょうか。
 この測定は極めて簡単な方法で行なわれます。まず第一段階は「赤いランプがついたらゴム球を握ってください」という指示を与えそれに従ってもらいます。第二段階は「赤、黄色の二種類のランプのうち、赤はゴム球を握り、黄色は握らない」という指示を、最後の第三段階は「今度は反対に、黄色で握り、赤で握らない」という指示を与え、約束事がちゃんと守られているかを調べます。次にこの実験結果から、人間がどれだけの理性とスピードを持って物事を判断出来るかを測定するわけです。
 こうした測定を子供五〇〇人に行なったところ、一九六九年〜一九七九年にかけての子供のこうした能力は平均で大きく低下しているという結果が出ています。
 また、他国との比較から、一九六九年の日本の測定値と一九八四年の中国のそれが酷似していることがわかっています。信州大学教育学部助教授の寺沢宏次先生は、この背景には子供の生活環境すなわちテレビやラジオ、テレビゲームや車の普及があるのであろうと指摘しています。確かに一九六九年の日本と一九八四年の中国のこうした子供をとり巻く生活環境は似かよっており、大きな説得力をもった説といえるでしょう。
 また、寺沢先生は、子供をキャンプなどの外遊びに連れて行って、その前後でこうした測定をなしています。すると四泊五日ただキャンプで遊んだだけで、この測定値の成績が上がったと報告しています。また四泊五日よりも三十泊三十一日のほうが余計に成績が向上するとのデータも発表しています。
 この、いわゆる自然や多くの友達とふれ合うことによって人間のどの部分が養われるのかと最新の脳測定機器で計ると、脳の左側の額にある発語を司る領域のちょうど隣にある「抑制」を司る領域になります。いわゆる「キレ易い少年」の起こす事件を考えると、実に示唆に富む研究です。
 それでは子供の成長を期待するのなら、キャンプで年中遊ばしていたらよいのでしょうか。まさかそういうわけにはいきません。「教」という文字は、子供に鞭を打つ象形文字ですし、「学問は文字を習うのと同義である。」とも先賢は述べています。
 信じ難い程、短絡的で凶悪な少年犯罪が多発する昨今、「近頃の若い者ときたら…」という言葉で終らず、子供をとり巻く環境や学習内容を通して年配者である大人がこれについて真剣に考えていかなくてはならないと思います。


青年将校の遺書(17/09) [2005]

先頃 、二・二六事件を起こした青年将校ら十七人の遺書が六十九年ぶりに発見され話題となりました。その遺書の筆跡は二十代後半から三十代にかけての青年とは思えぬ程背筋のしっかり通った堂々たるもので、憂国の士の精神が伝わってくるようで、私も興味深く拝見させていただきました。
 書家をやっていると、手で書かれた文字ならどんな人の筆跡であろうと興味深く観察してしまうくせが身についてしまいます。特に職業と筆跡とは深いかかわりがあるようで、武人なら武人、僧侶なら僧侶、政治家なら政治家と歴史的に見ても共通した要素が感じとれるものです。
 ただ、二・二六事件を起こした世代の軍人の書と、その上の世代の軍人、例えば海軍大将の山本五十六(一八八四〜一九四三)や、陸軍大将の山下奉文(一八八五〜一九四六)の筆跡には決定的な差異があります。それはただ一つ、文章を書く際に「変体仮名」を使っているかどうかという違いです。変体仮名とは、この『実り』の八ページ下にあるような平仮名以外の表音文字のバラエティーのことです。一九〇〇(明治三十三)年に政府は教育上、一字一音主義をとり、事実上学校では変体仮名を教えなくなりました。変体仮名を含めた学習をなして今でいうところの中学校を卒業した最後の世代が前出の山本五十六や山下奉文です。文化人では高村光太郎(一八八三〜一九五六)、志賀直哉(一八八三〜一九七一)らが同じ世代になります。明治三十三年以降、「日本の文字が難しいから科学が立ち遅れ欧米に遅れをとるのだ。」といった思想が教育の世界で声高に叫ばれるようになります。大正の中頃に至っては大臣が毛筆習字不用論を説くようにさえなってきます。そしてその後、日本は恐慌を体験し、ついには泥沼の戦争へと突入していきます。
 当用漢字を決める時の国語審議会のメンバーだった東京大学言語学教授の服部四郎氏が昭和三十五(一九六〇)年の『言語生活』に、以下のような一文を載せています。「或る点では私は誤謬をおかしておったということであります。それは、実はアメリカへ行きまして気づいたのでございますが、それは私はただ、こう字が易しくなれば、つまりそれだけ学習の時間の負担が軽くなって、ほかのほうの学科に振向けることが出来る。学習の時間が取れる。そう簡単に考えておりましたが、実は人間は字が易しくなるとなまけるものだということに気がついたわけであります。」
 この「なまける」とは、人間が怠慢になり、のらくらするという意ではなく、病気で長く寝ていると足が弱るのと同じで、人間の脳機能、すなわち言語、思考といった脳の高次機能の働きが、文字を簡単にすればそれだけ鈍くなるということです。
 手で字を書くと脳が活性化するなどという話は、最近では子供でも知っているものとなってきています。ただし、成長段階に応じて、いかなる文字を教えていくかについての学術的な議論がまだその緒にさえついていないのが現状です。文字教育のあり方については変体仮名も含めて議論すべきだと私は考えています。国語の世界では「文字の世紀」、医科学の世界で「脳の世界」などと言われていますが、これらの研究が進めば、二十世紀に起こった歴史的事件の意味も解明される日が来るかも知れません。


読み書きの復権(17/08) [2005]

最近、小中学校の国語教育の現場では「群読」という音読方法が注目を集めています。これは、教科書の文章をある時はクラス全員で、またある時は一人で、そしてまたある時はパートに分かれてまるで劇のように声に出して読み進める方式の学習です。
 この学習の利点は、みなで声に出して読み進めることによってイントネーションのおかしな点を先生がほとんど指摘しないで済むという点です。これは何も先生が楽を出来るというわけではありません。一人だけで皆の前で音読をして、誤りを多く指摘されたりすると、生徒が発音に対して自信を失い、国語嫌いに陥り易いといった音読のマイナスの面をカバーするからです。
 現在、気持ちの込もった抑揚のある話し方は、脳の右半球が関わっていることがわかっています。また他の人の声を聞きながら、同時に「声に出して読む」という行為をなすことにより、左半球の言語野が賦活してきます。そして、役割分担等をなすことにより、ある程度の責任感と緊張感を保ちながら読み続けていくことが可能となります。
 この群読は明らかに子供達の脳を覚醒しています。ただし、その文章の内容をよく理解しているかどうかは別問題です。例えば子供達はよく百人一首などを暗唱したりしていますが、この色恋沙汰を含めた深遠な内容を小学生がしっかり理解出来るわけがありません。また、江戸の寺子屋時代には難解な漢文の朗読が子供の大切な課題でもありました。美しい文章を抑揚をつけて声に出して読むことは文章理解とは別に、それだけでも頭の器を形成する「読む」学習として成立しうるわけです。
 では、「書く」という行為はどうなのでしょうか。人の「書く」という機能は「読む」「書く」「聞く」「話す」の中で最も複雑で、そのメカニズムの解明が遅れている領域です。実際、教育の現場でも、視写させるだけで文章理解や作文力が上昇するという報告がよくなされます。
 パソコンばかりで文章を書いて(打って?)ばかりいると漢字が書けなくなるとはよく聞く話です。朗読同様、手書き文字はキーボード書字とは異なり脳の右半球が深く関与していることがここ数年の研究でわかってきています。学力低下論争の中、読み書きの大切さが声高に叫ばれていますが、今一度「手で日本の言葉を美しく書きおろすこと」の意味を考え直さなくてはならない時期が到来しているように思えます。


篆刻に挑戦してみよう(17/07) [2005]

石を刻って印を作ることを「篆刻」といいます。中学や高校の書道の時間に実際に作ってみたことのある人もいるでしょう。印は、美しく作品をまとめる為、また自書したことを証明する上でも重要な役割を果たします。篆刻はまさに書学の欠くべからざる周辺領域です。
 名のある篆刻家に印を刻ってもらえば、それこそ高価な代物となりますが、自分で刻れば、数百円の印材に印刀(印を刻るための彫刻刀)と印床(印を押さえておく台)を用意すれば始められます。自分がしたためた季節の葉書きに、ちょっとした彩を添えるのも印の素敵な役割です。
 学校の書道の授業では、この篆刻をすることが生徒に好評とききます。古典の形臨を軸とした模倣中心の芸術科書道学習の中にあって、篆刻は自分の名前を字典で調べ、デザイン化し、失敗の許されぬような集注力を以ってなす創造的な学習です。
 私も、高校生の時に印を刻った経験は今でも強く記憶にあります。それに何しろ「石」ですから、劣化せず製作した当時のまま手元に残っています。
 篆刻は、書道とは違った様々なルールや技術を覚えなくてはならない、書学とはまったく別分野の技能である。といった考え方に私は反対です。書をなすということは、思考、言語を伴った細かい指の動きを支配する、という行為であり、書を能くするということは畢竟、篆刻をなす力を養っているということにもなるはずです。実際、法隆寺の建造物の屋根裏に見える宮大工の落書きや習字のあとは、指先の器用さと書の学習の関連性を雄弁に物語っているものともいえます。
 高村光太郎を始めとした彫刻家が「書」を熱心に学習していたりするのを見ても、「日本の文字を書く」ということと、日本人の物造りの上手さとは無関係ではないことがわかります。
 町工場を基盤とした繊細な手作業が日本の産業を支えてきたわけですが、それが今、いくら税金を投入してもその技能を支える後継者が育たなくなってきています。構成力を必要とする細かい指の動きをなすための基盤となる「書く」学習をおろそかにしているから、高度な技能がうまく習得出来ないということは科学的に十分言いえることです。
 日頃、書の学習に邁進している会員の皆さんには、今夏、短期の篆刻講習会を用意しました。篆刻の楽しさを味わいつつ、「書」の力が篆刻の中にも通じてくることを体感していただければと思っています。


高村光太郎の書(17/06) [2005]

古今東西を問わず優れた業績を残し、師表と仰がれている人々は、それぞれに深い経験を重ねて来た人です。従ってその人の語る言葉はどんな短い言葉であっても、私達の心にひびくものがあります。…この文句は川原玄雲著「ペン字基礎コース教本」教材 の課題にある言葉です。
 高村光太郎(一八八三〜一九五六)は、彫刻家であり詩人でした。その十和田湖畔の裸婦像はあまりにも有名です。光太郎はいわゆる書家ではありませんでしたが、書に対する洞察の深さ、見識の高さは書をする者にとって学ぶべきところ大です。光太郎が“書”について遺した言葉をいくつか列挙してみます。
 『書は一種の抽象芸術でありながら、その背後にある肉体性がつよく、文字の持つ意味と、純粋造型の芸術性とが、複雑にからみ合って、不可分のようにも見え、また全然相関関係がないようにも見え、不即不離の微妙な味を感じさせる。』
 『書を究めるという事は造型意識を養うことであり、この世の造型美に眼を開く事である。書が真に分かれば、絵画も彫刻も建築も分かる筈であり、文章の構成、生活の機構にもおのずから通じて来ねばならない。書だけ分かって他のものは分からないというのは分かりかたが浅いに外なるまい。書がその人の人となりを語るということも、その人の人としての分かりかたが書に反映するからであろう。』
 『書はあたり前と見えるのがよいと思う。無理と無駄とのないのがいいと思う。力が内にこもっていてさわがないのがいいと思う。悪筆は大抵余計な努力をしている。そんなに力を入れないでいいのにむやみにはねたり、伸ばしたり、ぐるぐる面倒なことをしたりする。良寛のような立派な書をまねて、わざと金釘流に書いてみたりもする。書道興って悪筆天下に満ちるの観があるので自戒のためこれを書きつけて置く。』
 そして『書をみるのはたのしい。画は見飽きることもあるが、書はいくら見ていてもあきない。またいくどくり返しみてもそのたびに新しく感じる。』とも述べています。
 光太郎は、絵を描くことと文字を書くことの違いについて的確に表現しながら、応々にして書をする人が陥り易い、形のみへ耽溺を戒めています。
 脳の動きが細かく観察されるようになったここ数年、書が分かるということと構成力という人間の高次機能の関連性が明らかになってきています。科学的な証明が与えられていない事柄でも、偉人達の短い言葉の中には、われわれが熟考するに値するヒントが多くかくされているのです。
 日本の言葉を手で書く…こんな身近なあたり前の行為に、多くの賢者たちが言葉を寄せています。手習いに行き詰まりを感じた時は、しばし、こうした言葉に触れてみてはいかがですか。自分が今迄気付かなかった世界が広がり始めるかもしれません。


筆記具の正しい持ち方(17/05) [2005]

美しく文字を書くためには、まず正しい持ち方が大切です。ただし、絶対的に正しい持ち方が一種類だけあって、それ以外はすべて誤りというわけではありません。下図の 、 、 の持ち方の中で現在我が国で正しいとされている持ち方は です。しかしながら欧米の学校では の持ち方をしていると の持ち方に直すように指導されるという報告を耳にします。私も、欧米の手書きについて興味があるので外国の人をつかまえてはどのような持ち方の教育を受けたかについて問うことにしていますが、やはり同じような答えが返ってきます。 の持ち方、すなわち親指と人差し指と股の間に筆記具の軸を落とし、人差し指が反り返る持ち方は、日本では望ましい持ち方とはされていません。
 なぜ、同じ筆記用具を使うのに日本と欧米とでこんなにも「正しい持ち方」が違うのでしょうか。まず考えられることに、英字は横書きの 字型運動であり、日本の文字は縦書きの 字型運動であるという違いです。しかしながら、日本人も横書きの、しかも英字入りの文章を書き下ろすことの多い昨今、アルファベットと漢字仮名を書きおろす運動上の差異にその根拠を求めることは難しいでしょう。
 日本では永らく、筆で文字を書くことが実用的な場面でも主流でした。えんぴつや万年筆といったいわゆる硬筆は明治以降徐々に浸透してきたもので、その歴史は欧米と比べ格段に浅いものです。こうして原稿を書いている私の持ち方を観察してみると実際 の持ち方になっています。ちなみに小筆を持つ時は の持ち方です。
 こうした筆記具の持ち方について研究している方のお話しを伺うと、日本では毛筆習字の伝統が長いので、それを硬筆の持ち方にあてはめようとして無理が起きているのではないかとのことでした。
 私自身の見解を述べると、本人の書き心地のよさに応じて から の間なら許容として認めても構わないのではと考えています。これは私の経験則ですが、連続性、抑揚、字形等、バランスのよい書字活動をしている人は、おのずとこの から の間の持ち方をしているものです。
 ただし、親指や人差し指の先端で筆記具を支えない のような持ち方はよろしくありません。親指と人差し指の先端には、運動や知覚の神経が集中しており、この活動を伴う書字行為こそが、手書きの成果を最大限に発揮するからです。これでも書けるといって意地を張っておかしな持ち方をしていると永遠に上達しないでしょう。
 筆記具の持ち方のおかしな人が増えているといわれるこのごろです。これからは「正しさの許容」も含めて「筆記具の持ち方」について考え直すことも必要かと思います。


「蘭亭序」もう一つの見方(17/04) [2005]

「書」の世界で歴史上もっとも有名な人といえば書聖、王 之(三〇七│三六五)です。中でも「蘭亭序」は、王 之の代表作として知られ、今でも高校の芸術科書道の臨書課題としてよくとり上げられます。
 王 之は永和九年(三五三年)に、蘭亭に四十一名の客人を招いて曲水の宴を開きました。この時、客人達が作った詩を一巻としてまとめ、王 之が二八行、三二四文字の序文を作り蚕絹紙に鼠鬚筆で書きました。これが「蘭亭序」です。
 この蘭亭序については、 之自身も「神助を得た会心の作」であると述べており、後に何度書き改めてもうまくいかなかったといいます。また原跡は王 之の書を極愛した唐の太宗皇帝と共に殉葬されてしまったため残っていません。したがって現在我々が目にするものは臨 (原跡を見ながら、そっくりに臨書すること)ないし搨 (透写や双鈎填墨、つまり原跡の上をトレース紙のようなものでおおい、その潤渇、濃淡まで正確に写しとること)したものになります。
 蘭亭序の高い評価の一つには、その変化と統一のバランスの見事さがあげられます。例えば蘭亭序には「之」の字が十九回あらわれますが、王 之は、それをすべて変化させて書き、しかも全体のリズムを整え、書美をあますことなく表現しています。(下欄参照)
 それから、蘭亭序は王 之自身が書きおろした名文であることも忘れてはなりません。最近、私立の中高では書道に力を入れようとしているところが多いそうです。それも「国語」と両方の視点から「書」を指導出来る人が望まれているといいます。「之」の字を様々に変化させていくような頭を使いながら、名文を綴っていくという楽しさを知れば、「書」の醍醐味は、その深みをますます深めていくに違いありません。蘭亭序の冒頭「永和九年」などと半紙に書く時も、いつ頃のどんな出来事なのかな、と想いを馳せながら書くことも大切なことです。


人生の節目を飾る筆文字(17/03) [2005]

三月から四月にかけての入学・卒業のシーズンは、梅や桜の花が美しく開きます。日本人に生まれてきたことに喜びを感じる季節でもあります。謝辞、答辞等、人生の節目を飾る書き物をお預かりすることの多い時期で、私もそれらを書きながら心新たにスタートしようという気持になります。時には長文の弔辞を書かせていただくこともありますが、故人の過ごしてきた人生や人柄に触れるようで、つい何度も読み返してしまいます。会社における表彰状や感謝状の文面を読んでも、授ける側と、受けとる側の緊張した少し誇らしげな式典風景が目に浮かんでくるものです。
 特に卒業証書は、その悲喜こもごもの学生生活の想い出のつまった証だけに、書くのにもいつもより気合がこもるものです。子供が年を重ねていって、ふとしたときにその証書を見た時に、学校での生活が甦ってくるような、そんな役割を果たすこともあることでしょう。
 最近、文部科学省の諮問機関・文化審議会の国語文科会は文字の「手書き」の重要性を強調する報告をしました。ボタンを押して文字を作成していく行為が、漢字の習得や、文書を書きおろす力、情緒の安定等を育むのを阻害しているという指摘です。私の地元の小学校では、今年から卒業証書の名入れを手書きではなく、毛筆のワープロ書体で作成するとのことです。本来なら、読み書きを教えるべき学校が、忙しいから卒業証書は機械で、とは本末転倒甚しいと多少憤っています。子供達は先生のように上手に字がかけるようになれたらと、一生懸命根気の必要となる「書き方」の練習に励むものです。
 手で文字を書くこと、特に筆文字などは自分の内面が全て露呈してしまいそうで出来ることなら遠ざけたい道程かもしれません。それに敢えて自らに鞭打って取り組み、生徒と対峙すれば何かしら結果が出せるのではないかと考えています。「手書き」や「習字」という言葉にくくられる学習効果の研究はここ数年で飛躍的な進展を見せています。文化審議会の報告が緊急性を持って広く教育の現場に浸透することを願って止みません。 


急がず休まず(17/02) [2005]

学力低下論争の中で、学校の週5日制の是非についてもよく話題にのぼります。学校に通っていなくとも、最近のハッピーマンデーの段階的な導入で、社会全体としても益々連休が増えてきています。
 連休は楽しいものです。日頃の学業や社会的責務から解放され、自由な余暇を享受出来ます。休みが連続すれば、それを利用して遠出も可能となるでしょう。学校の週五日制にしても、ハッピーマンデーにしても、ゆとりある豊かな社会の実現であるかのよう捉えるむきもあります。しかしこういった考え方に“待った”の声がかかり始めています。
 江戸時代、日曜に休むという習慣さえもなく、連休といったら、盆と正月といった位でした。そのかわり、仕事や学校は午前中で切り上げ、午後はそれぞれ悠々自適の余暇を過ごすといったゆとりもありました。
 火曜日に仕事を始めるときになかなかスタートエンジンのかからない社会人がいたり、学校でも勉強に手をつけられない生徒が多くいると聞きます。また休日の多い分や、スタートエンジンのかかりにくい非効率な面が、平日のスケジュールの過密へとつながり、かえって人々を疲弊させているという意見もあります。
 花に水をやったり、三度の食事をとったり、犬を散歩させたり、歯をみがいたり、歩いたりと……毎日少しずつでもよいから続けることが大切で、一ぺんにまとめてやっても意味のないことは多くあります。「急がず休まず」と言ったのはドイツの詩人ゲーテでした。書道にももちろんこれはあてはまります。「実り」や教材の課題を毎日練習するというが難しいのなら、一日一度でいいから筆記具を手にして丁寧に書くひとときを作るとよいでしょう。歩くことと同様に「手で文字を書く」という行為は文明人にとって大切な栄養源だからです。「三千年の術を知らぬものは、ただその日その日を生きるのみ」と述べたのもゲーテでした。皆様が長期の視野を持って日々を「急がず休まず」歩んでいかれますことを期待しています。


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