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新しき年を迎えて(18/01) [2006]

美しい冬の自然の中、平成十八年がスタートしました。何千年も変わらないであろう美しき景色とは相反して、社会では今、人の心とかモラルの欠如に起因した寒々しい事件が多発しています。
 「筌蹄をわする」という言葉を覚えていますか。以前にもこの実りの条幅課題でとり上げた文句です。この「筌」は細竹や草で編んだ魚を捕える道具(ふせご)のことであり、「蹄」は兎の足をひっかけるわなのことです。これは、目的を達成するための手段と、本質をはきちがえないようにするべし、という戒めによく用いられます。
 習字についてもこの言葉があてはまると思われる事例があります。例えば、小学校低学年で文字の、つける、離す、はねる、止める等をかなり厳しくチェックする場合があります。まだ満足に線分も均等に書けず、正円を書こうとしても大きくたわみ、細かい指の動きもおぼつかな小児にとっては、そういった詳かい指導は学習や心の発達の過程において大切な訓練となります。しかし、一度それを自分のものにしてしまえば、時には許容といわれるような書き方や、流れるように書くといった練習をしなければ、それこそ書字活動が自動化された熟知運動となり、決してその人の脳や心の成長にとって有益であるとはいえなくなります。つまり、何を得んかを分からずして手段ばかりに拘泥してしまうと、おかしなことになってくるということです。
 私も、書をなしていて前に教わったことから意識的に脱却しなければならない場面があります。また逆に生徒に教える時に多少絶対の本質ではないのだけれど次のステップに進むための筌蹄として指導をなすときもあり、日々この面については悩むことが尽きません。
 そんな暗中模索の厳しい稽古の世界の中にあっても楽しいことももちろんあります。新しい情報を仕入れに色々な人の話しを聞きに行ったり、ある時は研究会のメンバーとなり同じテーマで仕事を進めたりすることも何が筌蹄なのかを教えてもらえるよいきっかけになります。こうした出合いの中から、目標となる人や、尊敬出来る人を見つけていけるのが私にとって生きていく上での大きな張りあいにもなっています。コミュニケーション能力の低下が問題であると叫ばれる昨今、ボタン操作や画面の情報に頼るのではなく、人と人との五感を駆使した交流の中で育まれる、例えばモラルといった人の高次な能力を養うことが今必要なのではないでしょうか。
 会員の皆様にとって本年が、筌蹄の殻を破るようなすばらしい出合いに恵まれ、書の道をさらに極めていかれますことを心より希念しています。