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美しい文字は大きく見える(2008年12月号) [2008]

 上手な人の文字は、同じ大きさのマス目に書いても何となく大きく見える、と感じませんか。紙面ぎりぎりいっぱいに書けば大きく見えるというわけでもなく、かえって窮屈で下手に見えてしまうものです。明るく大きく見える文字をよく観察してみると、紙面に対する文字の大きさが程よかったり、文字のかこまれるところの空きが整えてあったり、また長短のメリハリもよく効いているものです。
 一番明るく大きく見える書き方というものをつきつめれば、それは「明朝体活字」ということになるでしょう。この書体は、たて画が太く横画が細く、文字の中の白い部分が極限まで均等化されており、新聞、雑誌、書籍等、現代の情報化社会を支える「読み文字」として最も多用されています。
 ただし、「手書き」の美しさや、表現力の豊かさという点を考えると、明朝体活字体にはない要素がいくつも加わってきます。それは、「筆脈」という運筆のリズムや、右上がりの横画の線の傾き、文字の中心へのまとまりといった奥行き感覚、そしてそれらをつむぐ滑らかな線のカーブなどです。本誌の ページには古典的名品、升色紙(伝藤原行成筆)が掲載されています。「大きく見える」という面では、文字の中の囲まれる白い部分を明るく見せるような工夫がされていることが分かります。このようにリズムよく流れるように運筆すると、初心者は必ずといってよい程、線が強く右上がりになってしまったり、くねくねとうねったような曲線になってしまうものです。
 升色紙は、抑揚豊かな連続性の高い、まるで美しい音楽のような線を描きながら、それと同時に強い右上がりや線のうねりを抑え、文字を明るく大きく見せるという技をやってのけています。
 書の学習において肝心なことは、まずはバランス感覚ではないかと私は考えています。字形だけ整えばよい、線質だけよくなればよい、配字だけがよくなればよい、ではいけません。また筆がもつ表現力の豊かさや偶然性、造形的なおもしろさのみに学習の軸を置くとしたら、深遠な書の道から遠ざかることでしょう。文字を美しく書くためにはルールがあります。そのルールを体得するための道は決して平坦ではありませんが、人の心を養う大切な道です。会員の皆様がこの道を迷わず一歩一歩確実に進まれることを期待しております。


展覧会を終えて(2008年11月号) [2008]

 去る九月三十日(火)、四年に一度の東京書芸展が五日間にわたる会期を終え、無事閉幕しました。副会長の川野嵐峰先生を始め審査委員長の古屋春鳳先生には多大なご尽力を賜りました。また、審査部の先生方には準備段階から、展覧会の成功に向け数々のご支援をいただきました。会期中は、搬入、搬出、受付等の骨の折れる作業に沢山の会員の方々のお力添えを拝しました事、ここに重ねて深く御礼申し上げます。
 会期中には、同じく東京芸術劇場のレストランをお借りし懇親会も開くことが出来ました。出品作品を鑑賞しながら、その作者と対面出来る機会が得られ、展覧会をより思い出深いものとしてくれました。ご参会いただいた会員の方々にまたお会いする
日をたのしみにしております。
 東京芸術劇場の展示ギャラリーは、その立地と静謐で重厚な空間が人気で、名だたる書展が開かれていることで知られています。東京書芸展も今回で三回目の開催となり、すっかり恒例の行事として定着してきました。本会の特徴は会員一人一人が自ら
の構想を温め、作品として練り上げていりという点にあります。どれも個性的で、来場者が口を揃えて言うように、鑑賞していて飽きのこない楽しめる書展になったということはまちがいありません。それでも独善に陥らず東京書芸協会という書の学び場で、多くの人たちがもまれ合いながら、それぞれがもてる玉に磨きをかけているようで、頼もしく感じています。
 私の役割は、これから益々重要になるであろう、「日本の文字を手で書くこと」に関する教育や研究について、より広く深く、その道を追求していくことにあると考えています。今回の展覧会を振り返り、会員のがんばりに負けないよう自らに鞭を打っていかねばと雰起の念を新たにした次第です。
 懇親会の席上、古屋春鳳先生が、東京書芸展はオリンピックの年に開かれる。オリンピックはなかなかやってこないようだが、書芸展はすぐにやってくるとおっしゃっていました。私も同感です。東京書芸展の記憶の新しい今、次に向ってスタートするよい時期でもあるでしょう。


収穫を喜ぶ(2008年10月号) [2008]

今年も、暑い夏が過ぎ、一年で最も穏やかで過ごし易い季節がやってきました。読書の秋、スポーツの秋などと言われるのと同様、炎天下で鈍っていた筆を持つ手も心なしか軽やかに動くようになります。
 宋の蘇軾の言葉に「書を学ぶは急流を沂るが如し、気力を用い尽くして旧処を離れず」というものがあります。書を学ぶということは急流を逆行するようなもので、気力を使いはたす程懸命であっても、もとの場所から一歩も進まないということです。確かに「書」の道は厳しいものではありますが、この言葉はいささか大袈裟に聞こえなくもありません。これではいくら頑張って稽古をしても、ちっとも上達するわけではないからやめておいた方がよいということになりかねません。
 「書」の学習の特殊な面に「腕(書く実力)と同時に目線(見る目)も上がっていく」という点があります。それも目線は必ず腕よりも常に一歩先を進んでしまうので、自分から見れば日夜練習に励んでいるのにちっとも上達していないような錯覚に陥ってしまうのです。
 東京書芸協会では、そんな急流を沂り、気力を尽くし書の稽古に励んできた会員を表彰しています。今年も年間最優秀賞を始め、年間努力賞、最優秀作品賞、優秀作品賞を受賞された会員の方々が発表されました。自分の目に は見えづらい書の道のりですが、その中において確かな一里塚を印たことを心よりお祝い申し上げます。
 来たる十一月十六日(日)には東京明治記念館において表彰式が行なわれます。仲間と共に書の道の収穫を喜び、また次の道標を目指して歩んでいきましょう。

私流、展覧会鑑賞の作法(2008年9月号) [2008]

 四年に一度の東京書芸展九月二十六日(金)~三十日(火)の開催が間近に迫ってきました。出品される会員の方は、作品を仕上げられ、あとは展示を待つばかりのことと思います。作品完成迄には言葉に尽くせぬような労苦があったことと察します。本当にお疲れさまでした。
 一方、当然のことながら、作品は鑑賞者あってのものです。その作品の表現をどう
汲みとるかは観覧者の鑑賞力にかかってきます。私の場合、まず、展覧会場に到着したら、服装や顔色、姿勢を整えてから受付へと向います。受付に列が出来ている時などでも、早く順番がまわってこないかなどと考えず、静かな気分でまるで禅をしているような時間を楽しみます。受付の番になったら、一礼し「今日は知り合いが出品しているので寄らせていただきました」とか「まだまだ暑いですね」などと、何でもよいから一言発し、受付担当者とコミュニケーションをとります。芳名録は必ず丁寧に、書き直しの許されない書作品に取り組むが如く真剣勝負で書きます。たとえ後ろに行列が出来ていたとしても決して慌てる必要はありません。
 目録を手にしたら、一度ざっと目を通し、これを見てみたいというものを先にチェックしておきます。順路に添って、まず一つ一つの作品を同時間かけて鑑賞するようにします。展示作品に向き合うと、予想をしていたものと必ずや違った表現に直面し、鑑賞の心をゆさぶり始めます。これは素晴らしい、驚きだ、美しい、私ならこう書く、どうやって書いたのだろう…などなど。私事ながら、旅行に出かけるのと同様、展覧会の鑑賞は刺激が多く、実際のところ疲れる感じがします。
 ここで一度、会場の外に出、近くの喫茶店などで目録を見ながら一服を入れます。同伴の人がいれば作品に関する意見交換などをすると面白い鑑賞の切り口が伺えて新鮮です。しばらくすると、頭の中で今見てきた展示作品が整理されてきます。そこで
再び会場に向います。受付では目録をチラッと見せ、すでに受付が終わっていることを示し、軽く会釈をして通り過ぎます。二度目には、一回目とは違って比較的落ち着いた気分で鑑賞出来るものです。今度は気になった作品の前でじっくりとそれを観察します。前には気がつかなかった細部の創意や技巧に気がつくことが多々あるものです。自らの糧となる鑑賞はむしろ、この二回目の鑑賞ではないかと思いますし、鑑賞の疲れが心地よさに変わるのもこの二回目です。真の芸術はその背景に人物を求める、という言葉があります。展覧会場は、芸術を通した人と人との語り合いの場であることを忘れてはなりません。
 

日本人の力の源流について考える(2008年8月号) [2008]

 日本書記や古事記の伝えるところによれば、日本に漢字が伝来したのは五世紀前後のこと。日本人が手書きした現存する最古の肉筆は聖徳太子による「法華経義疏」で、六一五年に完成しています。
 紀元前二万年前、人はラスコーの洞窟に躍動感あふれる絵を描き、それからおよそ一万数千年の後、人類の歴史に大きな事件が起きます。文字の誕生です。
 人類が直立したと言われるのがおよそ六五〇万年前、それから火を操り、言葉らしきものを使い始めます。そして現在の人類とほぼ同じ脳を持ったのがほぼ五万年程前です。
 有史時代という言葉があります。文字によって歴史が綴られたここもと数千年の時代のことです。それ以前、数百万年の永いあいだ人類が過ごしてきた変化の少なさに比べれば、莫大な生活様式、環境の変化が地球に訪れています。文字によって人類の叡智が時間と空間を超えて蓄積、発展していったという一面もありますが、一方でそのささやかな指の動きとは裏腹に、文字を書くことによって高次化される脳のシステムに注目が集まっています。
 文字を手にした日本人は、資源の乏しい島国ながら、世界史の表舞台に登場するようになります。日本の文字は表意文字と表音文字が混在し、文法、読み方のバラエティーも豊富、形も繁体を極めています。この文字を修得し、使いこなすようになるためには、それこそ脳への負担は大で、その分脳は高次化していくに違いありません。産業革命を知らずして三百年の鎖国というハンディを背負いながら、唯一列強諸国の植民地とならなかった東洋の小さい島国日本には、まずすばらしい文字文化があるこ
とを忘れてはなりません。
 教育や行政の展望は、高齢化や人口の減少などによって、国力は低下していくだろうということを前提に施策が行なわれていると漏れ聞きます。人的資源など縁のなかった斑鳩の地の五重の塔が、千年の歳月を経て美しく聳え建つのを見るにつけ、日本人は自らの力の源流を見失い、その日その日を生きるだけの国になり下がった感が否めない昨今です。今一度、立ち止まって日本人の力の源流について深く考え直してみる時期が到来していると思います。 

硬筆と毛筆は何が違うか(2008年7月号) [2008]

 毛筆は硬筆より軟らかい。毛筆は硬筆より太い細いが筆圧によって使い分けられる。硬筆は毛筆よりも手軽で身近な筆記具である。…これらはすべて正しい見方です。
 硬筆とは、えんぴつ、ボールペン、万年筆など、先の「硬い」筆記具を指します。一方毛筆は、先が「毛」で出来ているものを指します。硬筆は毛筆と違い、筆圧の強弱によって線の太い細いがあまり出ないものです。だから硬筆は平面的で、毛筆は立
体的な活動だ、と決めつけるのは早計です。
 硬筆と毛筆の両方の指導をしているとおもしろいことに気がつきます。毛筆だときりっとした線質が描けるのに、硬筆になると線に滑らかなリズム感がなかなか出てこない人が意外と多いものです。硬筆が平面で毛筆が立体ならば、毛筆は硬筆にプラス上下運動を加えればよいわけですが、実際の違いはそれだけではありません。
 毛筆は毛先が軟らかいため、筆軸を 60度~70度に立てて書きます。硬筆は先が硬いので40度~50度位に寝かせないと書きづらいものです。毛筆を使い慣れてくると筆の腰の部分の弾力をうまく利用して、リズムよく抑揚や太細の効いた線が書けるようになります。その表現力たるや、にじみやかすれ、濃淡さえも含め、芸術の域に達する迄の奥行きを持っています。一方、硬筆はといえは、こうした表現力は望めません。
 ただし、硬筆でよい線質を追求しようとすると、筆先に弾力がない分、自分の指先のごく繊細な弾力を百二十パーセント発揮しなくてはならなくなります。実際、硬筆を上手に使いこなせる書き手が太めのフェルトペンなどを使って書くと、まるで毛筆で書いたような美しい抑揚のある線質が得られます。つまり、硬筆を使いこなす能力は、毛筆に含まれるのではなく、重複するところと、別なところがあるということ。つけ加えれば、硬筆は、毛筆よりも身近で、ある意味地味な存在であるかも知れませんが、それはそれで毛筆には真似の出来ない趣きがあり、それも硬筆の大きな魅力だということです。
 文具店に足を運べば、様々な筆記具が揃えられている恵まれた時代です。ぜひ色々な筆記具に挑戦してみて下さい。色々な筆記具との対話があなたの感性をきっと刺激してくれることでしょう。





墨場必携(ぼくじょうひっけい)を使いこなす(2008年6月号) [2008]

 「墨場(ぼくじょう)」とは、書家、文人、画家が活動をする場面のことを指します。
 江戸時代、文字を習う人が増えるにつれ、それらの人々を指導する書家が現れます。
市川米庵(いちかわべいあん 一七七九~一八五八)もその一人です。米庵は、書画会などでその書を求められるうちに、揮毫(筆で文字を書くこと、筆を揮う(ふるう)の意)に適した漢詩、和歌、名句集を作っておくことを思いつきます。これが「墨場必携」の始まりです。
 米庵の編した「墨場必携」は六巻あり、巻一には銘・箴(しん)・歌・家訓、巻二に序・記・賦・志・論・説・雑・語・書、巻三に春類付言語・夏類、巻四に秋類・冬類、巻五に鑒誡(かんかい)類、巻六に閑適類(閑静安適の意)を集めています。つまり分り易く言えば、「墨場必携」とは揮毫のためのネタ集のようなものなのです。ネタ集というといささか品のない例えですが、例えば平安時代の藤原公任(ふじわらきんとう)の選した和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)なども朗詠に適した詩歌を集めたネタ集と言えないことはありません。
 ただし、米庵の墨場必携の優れたところは、揮毫に適した題材を広くから集め、それを美しく整理した点にあります。幕末の三筆と賞賛された能書家ならではの高い見識の窺える所業に違いありません。
 現在、書店の書道のコーナーを覗けば、「墨場必携」と題した書籍が少なからず並んでいます。この「墨場必携」は、米庵が編じたものはまずありません。米庵の「墨場必携」は明治十三年に刊行されていますが、それとは別に「墨場必携」という言葉が一人歩きをし始め、米庵が編じたものではない「かな墨場必携」とか「小中学生のための墨場必携」「禅語墨場必携」「三文字墨場必携」等、無数の「○○墨場必携」があるのが実状です。私の書斎にも多くの墨場必携がありますが、その頁をめくり、新しい言葉や詩を知り、それを書きしたためる過程は、書を学ぶ者にとって大切な日課でもあります。
 墨場必携を使いこなせるようになったら、今度は自分だけのオリジナルの墨場必携を作ってみるのもよいでしょう。墨場という広大無辺な叡智のフィールドでは、墨場必携のような書物は実に頼もしい相談相手になってくれることでしょう。

書論(しょろん)を楽しむ(2008年5月号) [2008]

 「書を見るのはたのしい。画は見飽きることもあるが、書はいくら見てゐてもあきない。又いくどくり返してみても、そのたびに新しく感ずる。」という言葉を遺したのは彫刻家の高村光太郎です。
 「書論」とは、「書」についての理論が書かれた文章のことです。つまり「書」とは何たるかが書かれている書物なら、すべて「書論」というジャンルに分類することができるわけです。一般には、唐代の孫過庭著『書譜』(しょふ)や、平安時代の藤原伊行(これゆき)著『夜鶴庭訓抄』(やかくていきんしょう)、南北朝時代の尊円親王(そんえんしんのう)著『入木抄』(じゅぼくしょう)、近代の中林梧竹(なかばやしごちく)著『梧竹堂書話』(ごちくどうしょわ)あたりがよく知られています。
 例えば『書譜』では、筆使いの窮極の境地を経済政策の専門家である桑弘羊(そうこうよう)や天才料理人の(ほうてい)をひきあいに出して論じています。桑弘羊は国家経済の全体を把握して将来を予知することに長けていました。(ほうてい)は牛に包丁をあてれば自然にさばきどころが現れて無理なくさばけ、精神そのままに刃が動いたといいます。
 また、『梧竹堂書話』においては、書法における「悟り」について以下のように述べています。「書には一定に定まった法はない。書法は宇宙間すべてのものの中にある。だから、剣器の舞を舞うのを見て悟った者があり、輿(かご)かきが道を争うのを見て悟っ
た者があり、折れた釵(かんざし)の股を見て悟った者があり、雨漏りの痕を見て悟った者があり、川の流れの音を聞いて悟った者があり、竹の葉の露がしたたるのを見て悟った者があり、牛の涎(よだれ)が地に引いているのを見て悟った者もある。私もいつか土佐派の古画を見て、細字楷書の書法を悟ったことがある。」このくだりを読んでなるほどと納得した人はかなりの上級者であるに違いありません。
 光太郎の言うように「書」の深淵は計り知れない程です。「書論」という言葉には、やや近よりがたい固い響きを覚えますが、「書」に対する目線が上がれば上がっただけ、それに応えてくれる楽しさが「書論」にはあります。「書論」もまた「書」を学ぶ上で力強い味方になってくれることはまちがいありません。

東京書芸展に参加しよう!(2008年4月号) [2008]

 東京書芸展が今年の九月二十六日(金)から三十日(火)までの五日間、東京芸術
劇場で開かれます。書の展覧会というと、一年に一回というのが一般的ですが、書を
より身近に事柄と結びつけて学び、書の根本的な力量の涵養に努めるという協会の理
念のもと、展覧会向けの作品製作のためだけに稽古の多くの時間を割かれることのな
いよう四年に一度の開催ということになっています。
 展覧会を目指した活動は、その労力の大きさだけ「書」に関する様々な知識と技量
を出品者に与えてくれます。題材を選ぶこと一つに関しても出来上がりを頭の中に描
きながら、文字数、漢字・仮名の割合等を吟味していかなくてはなりません。そして
書体。楷・行・草・篆・隷など、どの書体に取り組むか、また変体仮名入りにするか
どうか考えます。落款(落成款識のこと。作品に対する署名捺印)も大切です。名前
だけ入れるか、日付も入れるか、作者名、題名はどうするか、その他の説明文も作品
の中に挿入してみるかによって作品の雰囲気がぐっと変わってきます。落款印は必ず
しも使わなくてはならないものではありませんが、作品に趣きを添えるものとして、
小さいながらも大きな力を発揮してくれます。紙や墨にこだわってみるのもよいでしょ
う。同じ調子で書いたにせよ、墨や紙が違ってくれば、出来上がりはまったく別物の
ようにさえなるものです。このあたりも思案のしどころとなります。最後に表装です。
書き上げた作品が中身だとしたら、表装は着物のようなもの。中身に潜む持ち味を引
き立て、書を演出してくれる妙が表装の役割です。
 以上、ざっと思い起こしてもこれだけの要素が作品製作にからんできます。上級者
はこれらすべての要素のバランスをとりながらより高い完成度の作品を目指していく
ことでしょう。初心者は、指導者とよく相談しながら、少しずつ積み上げるがごとく
作品を練り上げていってください。展覧会出品に向けた勉励は、それが自らが額に汗
した分、悩めば悩む程、書の実力を高め、その製作過程が強く記憶に残るものです。
四年に一度の東京書芸展という晴れの舞台です。会員共通の素晴らしい思い出になる
ような展覧会となるよう、力を合わせて取り組んでいきましょう。

楷書に始まって楷書に終わる(2008年3月号) [2008]

 小学校に上がると、まずは楷書体を習います。文字を習いたての子供の書きぶりは、
ぎこちなく点画がバラバラでありながらも、どこかほほえましい感じがします。長年
文字を書いていると、慣れてきて、スルスルと流れが出てくるか、またはあいまいな
書きぶりになってきます。あまり崩れてくると記号としての役割が薄れてしまうため、
公の書類では「楷書」で書くように、といった指示がついています。
 書の稽古は「楷書に始まって楷書に終わる」と言われます。基本点画の書き方、字
形を一通り習ったら、今度は、それをやや連続させる書き方の行書体、そして草書体
へと稽古を進めていきます。楷→行→草と練習をしてきた人は、流れよく書き上げる
ことの難しさを実感していることでしょう。それでもへこたれることなく行書体をマ
スターし草書へと進み、篆書や隷書まで書きこなせるようになる方もいます。
 展覧会などではこうした書体を修得した人がその力量を発揮し、書美のすばらしさ
をもって人を酔わせます。ただ一方で、「究極の書体」と言われる「楷書」の作品が
少ないことは、多くの識者が嘆くところでもあります。「楷書」は一点一画を丁寧に
書かなくてはならない書体ですが、「活字」ではありません。例えば「しんにょう」
を、活字なら「(点が二つのしんにょう) 」と書きますが、「楷書」なら「(点が
一つのしんにょう) 」と書きます。読み易い文字「活字」と、書き易い文字「手書
き文字」とは異なります。楷書の難しい点は、それを美しく書こうとするならば、一
点一画を欠かすことなく正確に書きながら、同時に行草体にあるような「流れ」や
「抑揚」などといった要素を微妙に加えていかなくてはならないというところにあり
ます。この匙加減は大変難しく、楷書の奥深さは底なしかと思われる程です。
 楷書から始めて、行書、草書を知り、それを乗り越え、再び楷書に戻ってきたとき、
楷書にとり組むことが面白いと感じるか、面倒と感じるかは、書を学ぶ上での大きな
峠であるに違いありません。

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