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筆力とは(その一)(2012年6月号) [2012]

書の学習の定石(じょうせき)に、自分の書いた作品を少し離して見て、どこがうまくいかな
かったのかを考えるという方法があります。書いている最中は気がつかなかった点、例えば字形はまあよいのだけれど配字が大きく崩れている、などといったことに本人が気付けば、次はそれに注意して書くという練習方法です。線質は滑らかなのだけれど字粒が揃っていなかったり、字形も配字もうまくいったのだけれど、誤字、脱字が見つかったりするもので、一つの作品を納得のいくまで書くということは大変なことです。
 この練習の過程においては言語を使いこなす能力、空間を把握・構築する能力、指をリズムよく細かく動かす能力等々、脳の持てる機能を総動員しなくてはなりません。それゆえこれらの機能を統合し同時にコントロールする脳の前頭前野が働いてきます。書をするということは、顔前に示された自分の技量の足りないと
ころを、自らをして強いて修正していく厳しい作業です。この学習とは、例えれば、ある一定の器に知識をつめこんでいくというよりも、その器自体を大きくしていくようなものであるはずです。自らの分身ともいえる筆跡と向き合い、考え、書きこんでいくというこの定石の方法は皆さんも日々の稽古の場面で実践してい
ることでしょう。また指導者は学習者が今何に注意して練習するべきかについて作品を見ながら本人が納得いくように指摘するわけです。
 しかし、その中で説明するのが難しい要素が一つあります。それが筆力です。
この「筆力」とは簡単に言えば「きりっ」とした線というところでしょうか。太くても弱々しい線もあれば、細くても勁
つよい線があります。書聖王羲之の筆力は著しく強健で、彼が木の札に書いた文字を削ってみたら、その墨痕が三分(約一センチメートル)染み込んでいた、という逸話から書道のことを入木道(にゅうぼくどう)と呼びます。
つまりこの「筆力」は、書において大変重要な要素であるというわけです。長い短い、太い細い、曲がっているとかずれている、まちがっているなどといった要素は説明し易く、本人も自覚して修正しようという気になるのですが、こと、この「筆力」というものはやっかいなもので、本人に納得してもらうためには、学習者自身の上達を待たなくてはなりません。
                           ……次号につづく