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杭州・紹興の史蹟を探訪して(2014年2月号) [2014]

 以前より書道史の研究者らと、一度実際に訪れてみようとしていた中国の史蹟の見学が実現しました。日中関係が冷えこむ中、日本からの団体観光客は大変少ないそうで、中国人の通訳の方も嘆いていました。それでも仕事がらみの工場見学や学術交流会などは行われているそうで、我々も貴重な機会と捉え、書道史の現場を体感しに中国に渡りました。
 今回は、今からおよそ二千年前の書が中心で、まずは日本でも印泥で有名な杭州・西冷印社の敷地内にある「三老諱字忌日記(さんろうきじきにっき)」を訪れます。後漢時代建武二十八年(西暦五二年)刻の石碑で、祖父母、および父母の諱(いみな)と忌日が刻されています。文字はこの時代のものとしては鮮明で、文化財的価値の高いものであることが分かります。かつてこれが国外に流出しそうになった際、大金を集めてそれを阻止したという経緯のある貴重な石碑です。
 もう一つの目玉は紹興にある「大吉買山地記(だいきつばいざんちき)」です。これも後漢の時代、建初元年(西暦七六年)刻の石碑、というよりも自然の岩石を丸底彫りしたいわゆる摩崖(まがい)で、兄弟六人が土地を三万銭で購入したときの契約書代わりに造られたものです。この摩崖は比較的新しい土葬の墓地(中国では二十年程前迄土葬が行なわれていた)の奥にあり、回りも竹やぶに覆われ、うっそうとした中にあります。昼間でないととても行けるところではありません。尚、この摩崖の特徴は一字が二十五センチもあり、漢代を通じて現存する最大の文字であるということです。
 前記の二つの史蹟は、書作品としての重要性というよりも、二千年前の文字が、残っているということそのものに意味があり、それに加え、いつ、どこで、誰が、何のために書いたかといった事柄が明らかであるため貴重であるわけです。
 文字を書き、使いこなすということは、記録が時と場所を越えて残る、という意味あいもありますが、同時に脳の構造を変えうる程の強い影響を人に与えるものです。二千年程前、まだ楷行草といった連続性、立体性のないまだ素朴な篆書体や隷書体といった文字を使っていた人々が、どのような社会を築き、いかに暮らしてきたのかに思いを馳せることは、歴史を学ぶ醍醐味でもあります。
 書道史に詳しい現地の方との交流もあり、また日本では入手の難しい書体字典等も持ち帰ることが出来、収穫の多い旅行となりました。この貴重な経験を研究や指導に生かしていきたいと思います。