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書と料理の共通点(2015年8月号) [2015]

 書と料理は、日常実用的でありながら、共に芸術まで昇華しうる人の営みです。書は食べられませんし、白黒の表現を主とします。一方、料理には言語性はなく、色彩にも重きを置きます。
 書は、まずその「形」に目が行きがちです。しかし「形」は書の一要素に過ぎません。例えば、漢字の書き取りでは、つける離す、はねる止める、出る出ないで、○×が変わってくることもあります。それこそ、ひらがなの「な」の字の下の丸く結ぶところを楕円に書くか、三角のおむすび型にするかまで、教科書の形とそっくりに書かないと、○がもらえないということもあるそうです。
 しかし、書においては、そうはいきません。標準の形で書かれていたとしても、それが小さかったり、隅に寄っていたりすれば、改善の対象となります。字粒、配字以外にも点画の書きぶり、運筆のリズム、筆力など様々な要素が「書」にはあります。「形」は、脳において、まず認識し易い要素であるため、そこに注意が向けられがちですが、書においては、その他の多くの要素と、いかに兼善をなすかが、大切になってきます。例えば、履歴書の名前が教科書と寸分違わない形で書かれていても、配字はバラバラだったり、筆圧がコントロールされていなかったり、かなくぎ文字であったりしたら、見る人はその書きぶりから何らかの情報を得ることになります。
 料理はどうでしょうか。塩味だけが前面に出ている料理、油がきつすぎる料理など、ある一つの要素が突出しすぎれば、他の甘み、うまみなどの要素が埋没してしまいます。料理においては、味だけでなく、色彩も重要な要素ですから、これも赤だけ、緑だけ、ではなくそれらのコントラストの調整が必要になってきます。書でも、「形」一つをとってみても、長短だけ、とか太細だけ、が目立っては他の要素が埋没してしまいます。また「形」だけが突出して他の要素が埋没してしまえば、例えば、醤油味だけが前面に出ているスープになってしまいかねません。
 書は白と黒のみで表現されますが、肉筆のイントネーション性や言語性という要素は、色彩に覆われてしまう程、デリケートであるということです。料理と異なり、口にするわけではありませんが、豊かな書生活を送る為には、様々な要素があることを知り、それらのバランスをどうとるかについて考えていくことが必要です。