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少子高齢化社会に書が出来ること(2019年1月号) [2019]

 少子高齢化により、日本の経済力や社会保障の基盤が危うくなりつつあると、よく聞くようになりました。政治家がもっと出生率を上げよう、などという発言をしますが、これはお上の指示で動くものではないでしょう。
 幼い子供の虐待が後を絶ちません。子供を授かることは人間の生存本能に関わることですが、子供に対して怒るにせよ、してはいけないことをしないのが「抑制」という人間の脳の高次な能力です。先日、子供が習字を教わっている場面で、小学校低学年の児童が、手本を書いている先生の顔をのぞきこみながら、何で習字の先生ってこんなにやさしいの、と真顔で話しているのを見かけました。江戸時代の庶民の学校である寺子屋では、主に習字が行われており、師弟の情宜は大変深かったといわれています。よく道端でみかけるお地蔵さんの中にも、寺子屋の師匠を慕って建てられた寺子地蔵というものが今も多く残っています。
 人生百年時代といわれます。現役を引退しても数十年の長き人生が待っています。出来ることなら健康で生き生きと暮らしたいものです。私の周りには書をする方が多くいます。皆さん共通する点は年を重ねても若々しく元気ということです。自分の弟や妹の介護をしているのだ、という人も少なくありません。シルバー人材センターの毛筆筆耕の講習会などに出かけると、はじめは老人然としていた人が何日か講習会に通ううちに表情や着ている服が明るくなったり、人とコミュニケーションがとれるようになったりします。これには主催側の職員も驚く程です。若い頃から学習をする生活習慣がある人程、認知症になりにくいと専門医は言います。ただし、その生活習慣を高齢になっても維持出来るかどうかが大切で、まさに学ぶに遅きときなしです。
 昨年は書字と脳の研究で、文字を手書きしたり、パソコンで打ったりするようすをNIRS(近赤外光脳機能イメージング装置)を使って多くの人の脳の活動を観察させていただきました。もちろん手書きとタイピングの違いについてデータはとれたのですが、それとは別に、何もしていない、安静閉眼状態になると、言語やコミュニケーションを司る脳の領域の血流が著しく上昇するようすが観測出来ました。これはいわゆるDMN(デフォルドモードネットワーク)というものではないかと考えています。DMNとは何もしていない時に動く社会的知性と呼ばれる脳の機能です。朝起きてから夜寝るまで、食事や移動、仕事や勉強の時間すべてにおいてこのようなDMNを活動させる時間がいつあるのか気になります。今の日本人は、せきたてられるかのように機械に向かっていないといけないのでしょうか。ぼーっとしているのなら何か忙しくしていた方が脳を活動させるのでは、という世間一般の考えの逆を行くようなデータですが、学識と教養に溢れた僧侶が、昔から座禅などを大切にしてきたことを思えば納得のいくところです。人類七百万年の歴史の中で、このような生活環境となったのは、ごく最近のことです。人間が原始の頃から持ち得る本能に関わるエネルギーの活動の場が失われないか心配です。
 今年は今迄の研究を社会に問うていく一年になりそうです。文字を獲得した人類が数千年の時を経て、書くことの意味を確認する時は近づいています。