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改元に思う(2019年3月号) [2019]

 新元号が何に決まるかについて世間がかまびすしいこのごろです。平成に改元された頃、しばらくすると、毎年書いている幼稚園の卒園証書の生年月日の年号のところが空欄になって届きました。「昭和」と「平成」生まれが混在するため、「昭和」と印刷された文字がなく、一枚一枚「昭和」「平成」と書き分けました。そうか、平成生まれも、もう小学生かと感慨にひたったことを覚えています。そしてまたしばらくすると、小学校の卒業証書で、中学校、高校、大学と、そのたびに「昭和」「平成」と書き分け、感慨は時の流れと共に確実にやってきたものです。この卒業証書の年号を書き分けるという仕事から解放され、過去のものと考えていた作業がまた六年後、再び訪れることとなるわけです。
 改元は天皇の代始や瑞祥の出現で行われたり、平安時代以後は天災、戦乱、飢餓、疫病の流行などの不吉な事件に際しても隆んに行われてきました。大化から平成までの年号の数は南北朝時代の南北両朝の年号も含み合計二四五に達しています。一年号の平均は約五年間で、一人の天皇が二~三の年号を用いたことになります。元号を定めることは為政者の権威の証でもありました。しかし、現在こうしたいわゆる「元号」を用いているのは、世界広しといえども日本だけになっています。
 書をしている人なら、作品に年を書く際には、二○一九年なら、平成己亥などと書くことはあたり前ですが、中国の書家の方々は、西暦か、もしくは干支のみで年を記すのが一般的です。
 人類は文字を手にしたのと同時に、時を刻み始めました。現代でも文字を持たないアマゾンの奥地の部族などの言葉は「現在形」しかないこともあるといいます。時を刻む術を、意味ある漢字に込め、それを書きしたためることが出来ることは、書をする者として、きっと恵まれていることなのかと思います。新しい年号が、日本独自の文化を享受出来る、そんな元号であってほしいと願っています。