SSブログ

世界の手書きと脳の研究(2023年2月号) [2023]

 「手書きは書き言葉を学び、使用する最も一般的な方法である。どのような書体であれ、文字を手書きするということは、いくつかの認知・運動機能を必要とする。この非常に特殊な能力は、複雑な神経基盤に支えられている。」
――この文章は、二〇一三年、18の手書きの脳神経画像を分析したフランスとスイスの共同研究からなる論文の中の言葉です。またこの論文では手書きすることに直接的に関心を持つ画像研究の数が比較的少ないと述べています。さらに興味深い点に、アルファベット文化圏の研究者でありながら、アルファベットの研究のみならず音節文字と表意文字の例として、日本語の仮名と漢字を挙げています。
 カナダの研究者は、人間が絵を描く能力は数万年前からあるのに対し、文字を書く能力は数千年前からであり、識字が普及したのはごく最近のことであるとし、描くことと書くことの間に脳において大きな認知システムの違いがあることを示しています。
 アメリカの研究者はユニークな実験を行っています。効き手の右手、左手、右足で書く、それからジグザグに書く、叩く(タッピング)など、それらの脳の活動のようすをMRIで観察しています。結果、効き手の右手を使って文字を書く行為は、習熟していない左手を使ったり足を使って書いたりすることよりも脳の活動が活発化し、より大きな脳内ネットワークを動員することが分かったとしています。また、手のジグザグ運動や叩くといった運動と比べても、より多くの脳領域を使用していると指摘しています。
 オランダの研究者は、効き手である右手とそうではない左手で書くときの脳の活動の違いのようすを、幾何学図形を描いたり鉛筆でタッピングしたりするのと比較しています。これもMRIを使った実験ですが、手書きの脳内ネットワークの解明に迫っています。
 手書きすることが少なくなったという人が増えているようです。世界はすでに手書きの時代に動き始めていることを時に感じることがあります。豊かな手書き文化は日本の力そのものであると私は考えています。

世界が注目する手書き(2023年1月号) [2023]

 日本語のタイピング化が一般に普及しておよそ三十年が経ちました。難しい日本の文字を手書きせずとも文章を作れる便利な機械を使いこなすことは今や日常に必要なスキルとさえなっています。一方、世界を見わたすと、ここ数年、手書きについての重要な研究が増えてきています。
 これらの研究は主にMRIなどの脳の活動を観察する機械によるもので、それらのほとんどが米国、カナダ、欧米各国の研究です。これらの研究の成果は英語で綴られており、興味がなければ、一般の日本人にとっては縁遠いものです。書字に関する研究者の一人としては、このような論文に目を通すことは必須です。これら科学論文は、「概要」「はじめに」「方法」「対象」「結果」「考察」と、型が決まっており、読み方が分かれば自分の研究が今、どの地点にあり、新たな知見として何を加えようとしているのかの位置づけが出来ます。日本がこの分野において研究が遅れている理由に、そもそも言語の中のとりわけ書字を領域としている研究者が非常に少ないことがあります。小学校においては毛筆習字が必修で、上代の頃よりの豊かな書字文化を誇る日本において、なぜここまで手書きについて研究が進まないのか不思議です。もう一点、例えば「うさぎ」とタイピングしようとします。ローマ字入力なら「USAGI」と音を打てばおしまいですが、英語なら「RABBIT」と打つか変換しなければなりません。中国語でもこれらをすべて漢字に変換しなければなりません。こうしたタイピングのし易さも日本での手書きの研究が進まない原因なのではと考えています。
 海外の研究に目を向けると、例えば足に筆記具をはさんで書かせたり、ただ円を描いたり、指で机を叩いたりするのと、効き手で文字を書いたりする違いを観察したりしています。文字を書くには、その文字をどう書くか頭の中で計画しなくてはなりません。タイピングなら、描く文字と指の動きが一致しないし、紙面に適度な筆圧で書くという調整も不要です。これら海外の機械を使った研究と失書症などの研究により手で文字を書くことは非常に多くの脳の領域を同時に使用することがわかってきています。ただし、このネットワークが互いにどのように作用しているのかは、これからの研究に委ねられるところです。
 書字の研究者として、日本の文字を書く難しさと同時にその奥深さを日々感じています。日本の文字を手書きすることは日本の力の源であると私は確信しています。