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杖(18/06) [2006]

中年を過ぎる頃になると以前より体が言うことをきかなくなったり、記憶に自信がなくなったりと老化が気になり始めるものです。目が弱れば眼鏡をかけるし、足が弱れば車いすを使うこともあるでしょう。最近では電動式のおしゃれな車いすもよく見かけるようになり、老後の不安も科学の進歩のおかげで少しずつ解消されてきているような気がします。
 このような老化を支える便利な機械のルーツは何かといえば「杖」ではないでしょうか。ただし古においてはこの杖の使い方にもマナーがあったようです。中国の古典「礼記・王制」にも「五十歳は家の中において、六十歳は郷において、七十歳は国において、八十歳は朝延(天下)において杖をつくことが許される」と定めてありました。
 便利な機械は何も足腰を補助するものだけではありません。人と人とをつなぐコミュニケーションにしても、まずは互いに表情や身ぶり手ぶりを交えた会話があったり、恥ずかしくも自らの筆跡を通して手紙を書かねばなりませんでした。いやがおうでも通過しなくてはならないこうした試練を通して、人は一人前の社会人として成長していくべきでしょう。
 現在たいへん速いスピードでコミュニケーション能力の「杖」となる便利な機械が普及してきています。私もその利便性の恩恵を受けることはもちろんあります。ただし、必要もないのに時と場所を選ぶことなくこの「杖」を使い続けることによってこの「杖」を手離せなくなり、ついには自分の二本の足で歩くことさえ困難になり得るという恐さを忘れてはいけません。引きこもりが最近社会問題としてよく取り上げられますが、彼らはパソコンという「杖」を使うことが得意だといいます。人間の持つ社会性やコミュニケーション能力といったものは、年齢相応の失敗や成功といった試行錯誤の中から育まれるものであって、まだ年齢の低い内から不自然なコミュニケーションにどっぷりひたることが正常な人格を作り上げるとは到底考えられません。
 幸いにして本会では傘寿を超えて現場の先生や、デパートの筆耕係など、書く事を通して現役で活躍している方が多くいます。ちなみに「傘寿」という年齢の異名の意味がわからない方は、ぜひ薄い紙をたぐるといった辞書を引く労をとってみたり、誰かに聞くという作業をしてみてください。ボタンを押せば解決しそうな目の前の事柄に少し骨を折ってみてはいかがでしょうか。それが杖を遠ざけ、自らの足で歩きつづけることにつながるのですから。