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「書」をとり巻く状況の最近の変化と、変わらないこと(18/07) [2006]

「書」をとり巻く状況に最近若干の変化が見られます。
 大手出版社の三省堂が小学生向けの書写教科書を作り始めました。著者は、「書写とは字形だけではなく総合的な言語教育である」ということを標榜する若手の国立大学助教授です。時期を同じくして文部科学省の研究費補助金を受けての「書字行為と言語能力の発達」に関する研究も始まりました。
 学校の先生といえば昔は字が上手なのがあたり前でしたが、今は不思議な書き順でデジタル表示のような文字を書く先生も少なくありません。
 学校の教材でも、市販のボールペン字練習帳が使われる事もあるそうで、同書や「えんぴつで奥の細道」など、手書きを習ってみようという類の本が数十万部単位で売れています。
 先日、大学生と話していたら、最近は「書道ブーム」なのだそうです。なぜならメディア等でよく書道のパフォーマンスをしたりするのが流行しているからということでした。
 一方で、相変わらずだなと感じることもあります。
 たまにテレビ出演の依頼がありますが必ず和服で和室でなくてはいけないようです。
 学校の書写・書道の授業に関しても六十年以上にわたりそのやり方はまったく変わっていないといっても過言ではありません。昭和十八年、大戦のさなかに分断された小中学校の「国語科書写」と高校における「芸術科書道」の間には、いまだ朝鮮半島の三十八度線が存在しているかのようです。
 書について脳科学の視点から研究をしている医師が今年の始めに開かれた「書の至宝展」を見学しに行ったそうで、そのことについて感想を聞いてみると「残すべき最高に美しい古い文化」であるとのことでした。
 美しく文字を書くことが自明の学習であったことに対し、それが不易の教育であるかどうかに待ったなしの疑問が投げかけられています。人類の歴史における百世代以上にわたる知の蓄積のおかげで豊かで便利な社会になった一方、それを享受する一人の人間性の発達は逆に抑制されてきています。新聞の投書の欄に「墨を磨るべきか、墨汁でよいか」ということが載ると、意見がどっと寄せられるとの事です。こうした「書」をとり巻く状況について多くの人が関心を寄せています。私もこうした書をとりまく混沌とした状況を注意深く観察する一方で、どうもうまく把握しきれていないような隔靴掻痒たる感覚を持っています。
 七月からは、担当の教室を少なくさせていただいてそれを研究や本の執筆にあてようかと思います。また、その発信の場として師範・準師範向けに「世雲総合」というクラスを開きました。よろしければご参加ください。