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季節の言葉(18/03) [2006]

二月のことを如月(きさらぎ)とも呼びます。これは元々中国において二月のことを「如」と表していたことに由来します。
 睦月、如月、弥生…等々は月の異名としてよく知られていますが、これは明治五年以前の旧暦の季節感に沿った言葉で、現在の新暦(太陽暦)とは約一ヵ月のずれがあり、そのままあてはめると違和感が残ります。
 一般的な例を挙げるとすれば、六月を水無月(みなづき)と呼びますが、新暦における六月は梅雨のまっさかりで、本来なら水不足に悩む盛夏の頃を指し示すにふさわしい言葉でしょう。
 身近なところでは正月のことを「新春」と呼びますが、これこそ春(一月〜三月)と定めていた旧暦の名残で、立春(二月四日頃)もまだ遠いにもかかわらず賀状に堂々と「迎春」「初春」などと大書してしまうのは慣習のなせる技に違いありません。
 如月も、今の季節感からすると三月の頃の季節の言葉として昔は用いられていたものです。これを「きさらぎ」と読んだことについてはよく分かっていません。しかし、三月はまだ寒さが残っているので「きぬさらにき月」が短くなり「衣更着」となったという説があります。
 これらの季節の言葉を書道の上で落款(日付や署名)を入れる際、しばしば困ることがあります。例えば二月のことを「梅月」と書く習慣がありますが、これも実際の季節感とは少しずれがあります。したがって、私はなるべくは実感出来る季節のイメージを言葉に託して書きたく実践することにしています。そうすると季節の食べ物、草花、行事、自然現象などが書に生き生きと反映され、これまた心地よいものです。
 実用的な、いわばビジネスレターの類にも「梅の花びらが風に舞う…」「新緑の目にまぶしい…」、秋冷の頃には「萩の花が咲きこぼれる…」といった文句がみられます。美しい季節の移り変わりを愛でながら、日々の生活を送っている日本人の豊かな営みの風景がそこにはあります。
 近々に迫った学習指導要領の改訂に「言葉の教育」が主軸として盛り込まれています。安易な地名、貧弱な語彙が歓迎されているような最近の日本ですが、押しつけがましい実感の伴わない言葉の強制ではなく、まずは身近な事柄から、それを操る楽しさを覚えていくことが、なにより大切なことだと思います。